2007年12月21日金曜日

2007独協インターナショナル・フォーラム開催

 12月8 ~ 9日の2日間にわたり「日本とドイツにおける移民・難民・外国人労働者とその受入れ」をテーマとして掲げ、2007獨協インターナショナル・フォーラムが開催された。

本フォーラムのコーディネイターでもある本学外国語学部ドイツ語学科増谷英樹特任教授の基調講演のあと、第1セッションでは「歴史的経験とその継承」、第2セッションでは「国家の政策と社会的受容」、第3セッションでは「移民の受容と国民意識の問題」と題し、専門家によるアクチュアルで示唆に富んだ報告が行われ、それに続いて活発な質疑応答・討論が展開した。

今年で第20回を迎えた本フォーラムは、記念すべき年にふさわしく、一般市民の方々や学生はもちろん、大学、官庁、自治体、マスコミなど各方面から、2日間で延べ約300名と、これまでで最多の聴衆を集め、この問題に対する関心の高さを伺わせた。

増谷教授は今回のフォーラムを振り返り、「グローバル化が進む現代社会において、<人の移動>は、ますます重要な問題となり、また国家によるその統制のあり方も、複雑さを増しています。今回のフォーラムは、<移民・難民・外国人労働者>問題を考える上で、小さいながらひとつの確実なステップになったと思います」と語ってくれた。

 なお、パネリストの氏名と報告タイトルは以下の通り。

第1セッション>
ディートリヒ・トレーンハルト氏(ドイツ・ミュンスター大学教授):
「戦後ドイツにおける移民・流入民とその受入れ」、
杉原達氏(大阪大学教授):
「在日朝鮮人の歴史的形成・展開と日本の社会意識−大阪の場から考える」 

第2セッション>
カーリン・ヴァイス氏(ドイツ・ブランデンブルク州政府移民統合省オンブズマン):
「ブランデンブルク州における移住と統合政策」、
アンジェロ・イシ氏(武蔵大学准教授):
「在日(日系)ブラジル人の現在の動向と意識」、
青柳伊佐雄氏(草加市総合政策部人権共生課課長):
「草加市の外国籍市民施策について」、
簗瀬裕美子氏(草加市国際相談コーナー):
「『草加市国際相談コーナー』運営活動を通して見えたこと」 

第3セッション>
黒田多美子氏(本学教授):
「教科書のなかの移民・難民・外国人労働者−問題提起として」、
岡村圭子氏(本学専任講師):
「多文化共生社会における『国Kuni』と言葉」

2007年12月18日火曜日

古田ゼミ紹介

古田善文ゼミ「ウィーンの歴史と文化」

獨協大学外国語学部では、夏休みがあけ涼しくなってくる頃ぐらいから、二年生の間でつぎのような会話がよく聞こえてくるようになる。
「どこのゼミにするか決めた?」
「~先生のゼミにしようかなー。」などである。この学部では、三年次より始まる「専門演習」に向けて、まずは数あるゼミの中から一つを選ばなければならない。
この選択はもちろん人それそれであるが、定員が決まっているため、選抜の結果、希望したゼミに必ず入れるという保証はない。そのため、希望ゼミに入れるか否かは、獨協生のその後の大学生活の大きな分かれ道となる。

・・ではそもそもゼミとはどういった集まりで、どういった活動をするのだろうか?
広辞苑によれば、ゼミ=ゼミナールの略とある。この単語はアルファベットにするとSeminar、いわゆる英語のセミナーである。しかし、日本ではドイツ語読みでゼミナール。ドイツ語学科生には親しみやすい名前なのである。



そろそろ本題である古田ゼミの紹介に移りたいと思う。
まず主なテーマはズバリ「ウィーンの歴史と文化」。部門はⅢ類である。その内容について、ドイツ語学科の2007年度版「演習の手引き」から引用してみると、

「ゼミでは古くから多様な民族と文化が交錯するする街ウィーンを対象に、この魅力あふれる中欧の古都の歴史を検討します。ゼミが扱うのは、ウィーンが政治・社会・文化的な大変動を経験しながら近代都市への転換をはたした時期、つまりハプスブルク帝国の末期にあたる19世紀末から、1918年の第一共和国の誕生を経て、さらにオーストリアがヒトラー・ドイツに併合される1938年頃までの50年間を予定しています。」
とある。

それでは先輩方が具体的にどういったテーマと格闘しているか、本年秋学期の事例を具体的に見てみよう。

「コーヒーの歴史とベルリンのカフェ」
「ビーダーマイヤー時代」
「ウィーン市長 カール・ルエーガー」
「サウンドオブミュージック♪♪」
「ナチ体制化の青少年」
「オーストリア継承戦争と七年戦争」
「第二次世界大戦後・冷戦時代の『中欧』」
「夢判断」
「パレスチナ問題とユダヤ人」
「アドルフ・ヒトラー」
「環境先進国・ドイツ~京都議定書達成に向けて」
「ウィーンにおけるユダヤ人迫害の歴史」
「ヴァルトハイム問題」
「ウィーン会議について」
など多様である。

オーストリアやウィーンにちなんだテーマを正面から扱うゼミ生がやはり多いが、なかにはゼミの共通テーマとはかけ離れた題材を研究対象にする者も少なくない。ちなみに紹介者自身のゼミでの発表のテーマは「フーリガンから見るスポーツと暴力」であった。もちろんウィーンのウの字も出てこない。それは先生の守備範囲の広さもあるが、やはり先生が愛するサッカーを裏テーマとしていることも関係しよう(ちなみに先生は知る人ぞ知る、ドイツブンデスリーガのボルシア・ドルトムントの熱狂的サポーターなのだ!)。
こういった多様なテーマについて、ゼミ生は、先生をまじえて討論をしながら知識を蓄え、視点を磨くことになる。そういった活動が主に教室で、時には中央棟五階の古田善文研究室で、松原団地駅前の「わたみん家」で、青山のブラジル料理屋で、有楽町のガード下で、ついにはウィーンその地で(?)繰り広げられるのである。

もし、古田ゼミに興味を持ったのであれば、思い切って中央棟五階、古田善文研究室を訪ねてみるといいかもしれない。きっと先生は、あなたの熱意あふれる質問に、真摯に答えてくれるはずである。

文責:ゼミ生代表

2007年12月10日月曜日

『ドイツ文学者の蹉跌―ナチスの波にさらわれた教養人』




  本情報
  著者:関楠生
  出版社:中央公論新社
  発行年月:2007年8月
  サイズ:単行本
  ページ数:277ページ
  ISBN:978-4-12-003858-7










目次

序章  ファシズム下の日本とドイツ文学研究
第1章 高橋健二とナチズム―ナチス政権獲得から大政翼賛会文化部長まで
第2章 ヘッセとナチス文学は両立するか
      ―高橋健二と秋山六郎兵衛と石中象治の場合
第3章 「ドイツ文学史」の陥穽―ヘッセとマンとナチス文学
終章  同時代ドイツの文学史を検索する


内容紹介

誤認・省略・改変。それは時局への迎合か? 空虚な高揚か?
ナチス・ドイツとの日独友好関係の下、高橋健二、秋山六郎兵衛、石中象治、鼓常良らのドイツ文学者の足跡を検証する。ヘルマン・ヘッセ、トーマス・マン、ハイネへの高い評価が時勢の変化に流され、ついにはドイツ文学の価値観を塗り替えてしまうに至るプロセスを、当時の資料を用いて調査、もう一つの戦争責任を問う。


著者紹介

1924年静岡生まれ、東京大学文学部独文学科卒業。同大学名誉教授、獨協大学名誉教授。

興味のある方は全国書店で、またamazonなどオンラインショップでも扱っています。

2007年12月2日日曜日

工藤達也ゼミ紹介

 まずゼミ室に入ると、まるでそこは寂れた酒場にある一軒の飲み屋に似た「しぶい」雰囲気が漂う。毎週ゼミの時間になると、決して多くはない数のゼミ生たちが常連客のようにぽつりぽつりと座っている。ゼミのテーマが批評理論というせいだけあってか、アカデミックな影が、秋ともなると、さらに色濃くゼミ室にさす・・・。うーん、やはり「しぶい」。


  しかし、最近は、意外と注文に哲学・思想の発表が多いのはなぜだろう—。いや、これまじで疑問。これは発表者も、聞く方も教師も難儀するものだが、学問の精髄を探ろうという期待と傾向が強いのはよしとして、これは21世紀の珍現象ではなかろうか?・・・考えてしまう。 

 さて今日はというと、「カントの批判理論について、やりまーすっ」、という発表者の屈託ない声。うっ、こいつは手強い発表になりそうだ・・・。レジュメが配られ、発表が一通り終わる。そして、沈黙がゼミ室を支配する。

  「われわれは知識を共有できたであろうか?」と疑問を持つこの瞬間の沈黙—、これが私は一番こわい。そこで教師は学生を時には挑発し、そして発表者と互いに模索しながらたどたどしく説明を開始する。教師の額から汗が流れ、つばが飛び、チョークが折れる。そして終業のチャイムが鳴るころには、すでに喉がからから、疲労困憊だ。そして、最後に一言「来週の発表は誰?」。「私でーす、アドルノについてやりまーすっ」、ひーっ。次はアドルノっすかぁ、こりゃまた手強い・・・。

  まあこんなのが、ある日のゼミの一光景ですが、要はゼミでは原則、毎週常連(=学生)の皆さんの自由な発表に工藤がコメントを加える形態をとっています。哲学・思想関係だけではなく、前はウイリアム・モリスとその影響(アール・ヌヴォー、ユーゲント・シュティールなど)を調べてもらったこともあったし、『戦艦ポチョムキン』などの古典的映画を鑑賞したこともあった。建築でも写真でも興味があったら、まぁ敷居は高くないから気楽にゼミをのぞきにいらっしゃい。そりゃもう難しい話題も簡単な話題も歓迎しますよ。学生=常連さんといっても毎回は参加しないのもいて困ったものですが、しかしまあ、そんな「いやみ」はぬきにして、とにかく新歓コンパは明るいお好み焼き屋さん(予定)で、みんな盛り上がりましょう!

 


ちなみに写真は上がカント、下がアドルノ。ねっ、やっぱ「しぶい」でしょ。

2007年11月28日水曜日

08年度インターンシップ参加者募集と説明会のお知らせ

以下の要領で、2008年度のドイツ語圏におけるインターンシップ・プログラムへの募集を行ないます。

・ 募集人数:10名程度

・ プログラムの概要

① 7月下旬または8月上旬に開始。9月中旬まで全体で約8週間。
② 最初の10日間ドイツ(ドルトムント)での準備コースに参加。その後、企業・団体にて6週間ほどの個別研修を行う。研修期間は、個別に調整される。


渡航日程: 7月23日(日)~25日(火)
準備研修(1.5週): 7月26日(水)~8月4日(金)
企業研修(6週間): 8月07日(月)~9月16日(金)(調整あり)
(2007年度の日程)

③ 研修先機関について:企業・ホテル・学校・経済団体などを紹介する。
④ 費用について:第一週目の準備コース参加費は大学が負担する。若干の宿泊費補助を行うが、それ以外は基本的に自費となる。

・ 応募資格:

① ドイツ語学科の学生および大学院生。交換・認定留学中の者も可。
② 日常的コミュニケーションに問題のないドイツ語力を有すること。ZD以上を取得していること。
③ インターンシップを行う動機付けが明確であること。
④ 夏休み全期間に参加できること(9月中旬まで)。
⑤ 以前このプログラムに参加していないこと。
なお、渡航までに以下の要件が満たされることを強く希望する。

1. 来春本学で開講されるゲーテ・インスティトゥート「経済ドイツ語コース」への参加
2. PC(特にWord、Excel)の習熟

・ 説明会

    日時: 12月12日(水)4限15:30〜16:30
    会場: 6-202


・ 申し込み

① 受付期間:12月5日(水)~12月20日(金)
② 提出場所:ドイツ語学科共同研究室
③ 提出書類: 所定のエントリーシート(学科HPよりダウンロード)、成績証明書
④ 国外からの申し込み:12月20日必着で下記の住所まで郵送。
〒340-0042 埼玉県草加市学園町1-1 
獨協大学外国語学部ドイツ語学科
 
・ 選考方法
① 一次選考は書類審査による。選考結果は2007年1月17日(木)ドイツ語学科共同研究室前に掲示する。
② 二次選考は、ドイツ語と日本語による面接を行う。二次選考および最終結果発表は、1月下旬を予定している。

・ 問い合わせ、質問などはドイツ語学科の金井(miekanai@dokkyo.ac.jp)まで

2007年11月22日木曜日

青山愛香ゼミ 「西洋美術史」

 このゼミでは西洋美術史を学んでいます。2007年春学期は「芸術家と旅」と題して、ドイツの画家アルブレヒト・デューラー(1471-1528年)、デンマークの彫刻家トアヴァルトセン(1770-1844年)からスペインの画家パブロ・ピカソ(1851-1973年)まで12名の芸術家を取り上げ、旅によって彼らの様式がどのように変化したかを具体的な作品に即して分析しました。

アルブレヒト・デューラー『阿呆船』(1492年)より

 冬学期に入ってからはゼミ生が一人一人、自分で選んだ芸術家の作品研究を発表しています。これまでの発表をご紹介すると、19世紀イギリスの作家オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』に挿絵をつけたイギリスの画家ビアズリーの作品と、フランスの画家ギュスターヴ・モローが描いた水彩画《サロメ》の比較分析、イタリア・ルネサンスを代表するボッティチェルリの《春》と《ヴィーナスの誕生》の図像分析、17世紀オランダの巨匠レンブラントの若き《自画像》11点と明暗表現について、ドイツ・ロマン主義の画家フリードリヒの《海辺に佇む僧侶》研究、そして戦後ウィーンを代表する行動主義派のヘルマン・ニッチュの芸術論と続いています。
 ゼミ生は大学に入るまでドイツ語も美術も学んだことがありません。それでも3年生からゼミに入り研究発表とゼミレポートを重ねることで、4年生の冬学期頃には驚くほど作品の見方が深まっていきます。
 ゼミで美術館見学をすることも多く、今年の夏休みは鎌倉近代美術館に行き、その帰り道に江ノ島で船に乗ってみんなで夏の終わりを楽しみました。受験生のみなさんの中で、芸術に興味がある方はいずれこのゼミへどうぞ。
 
 

2007年11月8日木曜日

ドイツ語学科主催就職支援講演会 会場変更のお知らせ

2007年11月14日(水)開催予定 ドイツ語学科主催就職支援講演会は、
会場を6-202から 5-128番教室 に変更致します。

2007年11月7日水曜日

ドイツ?GO! オンライン懸賞に応募しよう!!!


ドイツ?GO!
日本におけるドイツ(2007/08年)のためのオンライン懸賞です。
開始は2007年11月1日 終了は2008年2月29日。

ドイツ・クイズの旅で最終抽選に選ばれたら賞品がもらえます!
1等賞: ゲーテ・インスティトゥート ミュンヘン校4週間コース+滞在費+
     エコノミークラス航空券

その他豪華な賞が沢山準備されています。
詳しくは下記のアドレスから!!
 www.doitsu-go.jp

2007年10月29日月曜日

木村佐千子ゼミ(テーマ:ドイツ語圏の音楽史)

今年度の木村ゼミでは、バロック音楽、古典派音楽が主なテーマです。
春学期には『西洋音楽史 バロック』という文献を基に、バロック期の音楽の楽器、作曲家、演奏方法などを詳しく調べ、秋学期は、古典派音楽の3巨匠であるハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの曲を個人で深く考察し発表しました。(しております。)


発表では曲を聴きながら、楽譜を見て曲の特徴をつかんだり、DVDを利用して耳だけでなく目からも音楽の雰囲気を感じ取ったりというような方法をとっております。
発表後には様々な質問や意見が飛び交い、全員が意見を言うといったスタイルなので同じ曲でも感じ方、考え方は十人十色です。
毎回笑いが絶えず、とても仲が良いゼミです。笑いが絶えないと言いましても、話を聞くときは聞く、音楽を聴くときは聴く、言うときは言う、笑うときは笑う、と切り替えを巧みに行っているというのがこのゼミの素晴らしい点とも言えます。
このゼミは個人を尊重したゼミなのでゼミを指揮するのは全てゼミ生で、先生は皆のサポート役といった存在です。
最後に先生の紹介を、先生の名前を使いあいうえお作文で行ってみたいと思います。
「き」 綺麗な黒髪ストレート
「む」 息子も可愛いく
「ら」 ラブリーな笑顔
「さ」 颯爽と風を切りながら自転車をこぎ
「ち」 ちょっと物静かだけど秘めているものは無限大
「こ」 こんな素敵な先生のゼミは世界に一つ!!

(2007年度ゼミ生合作)
         

2007年10月24日水曜日

2007年独協インターナショナル・フォーラム

2007 獨協インターナショナル・フォーラム   (2007年12月8日・9日)
獨協大学中央棟3F大会議室

日本とドイツにおける移民・難民・外国人労働者とその受入れ

 グローバル化がすすむ現代世界においては、モノの移動とともに人の移動は国家の枠を越えてますます広がっている。一方、国家による移動の統制のあり方もますます複雑化しつつある。


 人の移動は歴史上さまざまな要因により幅広くおこなわれてきた。19世紀の国民国家の成立以降、国家は国境を越えるそうした人々の移動をさまざまな形で統制してきた。人の移動は、個人や集団の経済的必要性、国家の政策・軍事、社会のありようから生じる。同時に人の移動は、社会や国家のあり方そのものに影響をあたえ、人々の意識や文化に変化をもたらしてきた。

 本フォーラムの基本目的は、近代以降の日本とドイツにおける人の移動の歴史を比較し、両国の統合ないし排除の政策を吟味することである。さらに流入する人々を受け入れる国家や地域の人々の意識や文化の問題を検討することである。日本とドイツはこの1世紀半、人の流入の歴史においては似たような経験を経てきたが、現代における人の受入れという点においてはかなり異なる立場をとっている。

 日本における流入民の問題は明治の時代から存在していたが、それが大きな問題となったのは、アジア・太平洋戦争の時代である。戦争で不足する労働力を中国や朝鮮から強制的に調達したからである。それは戦後も「在日コリアン」の問題として今日にいたるまで影響をおよぼしている。移民労働者の長い歴史を持つドイツでは、第二次世界大戦時に大規模な外国人ないし「ユダヤ人」の強制労働という経験を持つが、その解決のあり方は日本とは異なっている。
 第二次世界大戦後、日本とドイツは経済復興にともなう外国人労働者および移民の導入において異なる対応をとった。日本が閉鎖的政策をとったのに対して、ドイツは積極的に外国人労働者を受け入れた。その背景には、ドイツにおける被追放者の問題や東西分断という歴史的要因があるだろう。だが、その後もドイツに留まった外国人労働者(「ガストアルバイター」)の問題は、日本の移民労働者政策に少なからず影響を与え、「在日コリアン」の問題との比較の可能性を提供している。

 「壁の崩壊」やEUの成立は、1990年代以降、ドイツにおける流入民の問題に新たな展開をもたらした。旧ユーゴスラウ゛ィア難民の受け入れや東欧・ロシアからの経済難民や「帰還民(アウスジードラー)」の問題は、日本におけるベトナム難民の受け入れやブラジルなどからの「日系人」労働者の問題とどう重なり異なるのか。

 こうした多様な移民の歴史と政策は、両国の人々の意識にどのような影響を与えているか、このフォーラムであきらかにしていきたい。


日本とドイツにおける移民・難民・外国人労働者とその受入れ

フォーラムの構成
〈第一日〉 12月8日 13:00〜17:00

開会挨拶              
獨協大学学長 梶山 皓
獨協大学国際交流センター長 ハンス H. ゲートケ

基調報告
「日本とドイツにおける移民・難民・外国人労働者とその受入れ―比較のあり方」
増谷英樹(獨協大学)

[第一セッション]歴史的経験とその継承
司会: 黒田多美子・増谷英樹

「戦後ドイツにおける移民・流入民とその受入れ」                
ディートリッヒ・トレーンハルト(ミュンスター大学)

「在日朝鮮人の歴史的形成・展開と日本の社会意識-大阪の場から考える」
 杉原 達(大阪大学)
 コメントおよび討論

〈第二日〉12月9日 10:00〜17:00

[第二セッション]国家の政策と社会的受容 
司会: 増谷英樹・大重光太郎

「ブランデンブルク州における移住と統合政策」 
カーリン・ヴァイス (ブランデンブルク州政府移民統合省)

「在日(日系)ブラジル人の現在の動向と意識」  
アンジェロ・イシ (武蔵大学)

 「草加市の外国籍市民施策について」       
青柳伊佐雄(草加市総合政策部人権共生課)

 「『草加市国際相談コーナー』運営活動を通して見えたこと」
簗瀬裕美子(草加市国際相談センター)
 
コメントおよび討論
 
〈昼休み〉 12:30〜14:00

[第三セッション]移民の受容と国民意識の問題 
司会: 増谷英樹・古田善文

「教科書のなかの移民・難民・外国人労働者―問題提起として」
黒田多美子(獨協大学)

 「多文化共生社会における『国Kuni』と言葉」   
岡村圭子 (獨協大学)

 「パネル・ディスカッション」
ディートリッヒ・トレーンハルト、杉原 達、
カーリン・ヴァイス、アンジェロ・イシ、
青柳伊佐雄、簗瀬裕美子、黒田多美子、岡村圭子 

結語                
国際フォーラム委員長  黒田多美子
閉会の挨拶             
獨協大学ドイツ語学科長 渡部重美 



報告者リスト(報告順)

増谷 英樹 (獨協大学特任教授)
ディートリッヒト・レーンハルト (ミュンスター大学教授)
杉原 達  (大阪大学教授)
カーリン・ヴァイス (ブランデンブルク州政府移民統合省オンブズマン)
アンジェロ・イシ  (武蔵大学准教授)
青柳 伊佐雄(草加市総合政策部人権共生課課長)
簗瀬 裕美子(草加市国際相談コーナー事務局)
黒田 多美子(獨協大学教授)
岡村 圭子 (獨協大学専任講師)

20. INTERNATIONALES FORUM DER DOKKYO UNIVERSITÄT

Migration und Integration von Ausländern in Japan und Deutschland

Programm des Forums

1.Tag 8.Dezember 2007 13.00 – 17.00 Uhr

Begrüßung zur Eröffnung des Forums
Rektor der Dokkyo-Universität, Ko Kajiyama
Leiter des Internationalen Zentrums, Hans H. Gaethke

Leitvortrag
Migranten und ausländische Arbeitnehmer und deren Aufnahme in Japan und Deutschland – Methoden des Vergleichs
Hideki Masutani (Dokkyo Universität)

1. Sektion: Historische Erfahrungen
(Sitzungsleitung: Tamiko Kuroda, Hideki Masutani)

Korporatistische Integration, Asylkrise und staatliche Integrationspolitik. Deutschland seit 1955
Dietrich Thränhardt (Universität Münster)

Historische Formung und Entwicklung der in Japan ansässigen Koreaner sowie das gesellschaftliche Bewusstsein Japans – am Beispiel Osakas
Toru Sugihara (Universität Osaka)

Anmerkungen und Diskussion





2.Tag 9. Dezember 2007 10.00 – 17.00 Uhr

2.Sektion: Staatliche Maßnahmen und gesellschaftliche Akzeptanz
(Sitzungsleitung:Hideki Masutani, Kotaro Oshige)

Zuwanderung und Integrationsmaßnahmen in Brandenburg
Karin Weiss (Integrationsbeauftragte des Landes Brandenburg)

Die gegenwärtige Situation und das Bewusstsein der in Japan ansässigen( japanischstämmigen) Brasilianer
Angelo Ishi (Musashi Universität)

Über politische Maßnahmen der Stadt Soka für Bürger mit nicht-japanischer Staatsangehörigkeit
Isao Aoyagi (Abteilung für Menschenrechte der Stadt Soka)

Tätigkeitsbericht der “Interkulturellen Informationsstelle der Stadt Soka”
Yumiko Yanase (Interkulturelle Informationsstelle der Stadt Soka)

Anmerkungen und Diskussion

(Mittagspause) 12.30 – 14.00 Uhr


3. Sektion: Akzeptanz der Migranten und das Problem des nationalen Bewusstseins
(Sitzungsleitung:Hideki Masutani, Yoshifumi Furuta)

Migranten, Flüchtlinge und ausländische Arbeitnehmer in japanischen und deutschen Schulbüchern
Tamiko Kuroda (Dokkyo Universität)

“Kuni” und Sprache in der multikulturellen Gesellschaft
Keiko Okamura (Dokkyo Universität)

Podiumsdiskussion
Dietrich Thränhardt, Toru Sugihara, Karin Weiss, Angelo Ishi,
Isao Aoyagi, Yumiko Yanase, Tamiko Kuroda, Keiko Okamura

Schlusskommentar
Leiterin des Internationalen Forums, Tamiko Kuroda
Schlussansprache
Leiter der deutschen Abteilung, Shigemi Watanabe



Vortragende (Vortragsreihenfolge)

Prof. Hideki Masutani (Dokkyo-Universität)
Prof. Dr. Dietrich Thränhardt (Universität Münster)
Prof. Dr. Toru Sugihara (Universität Osaka)
Prof. Dr. Karin Weiss (Integrationsbeauftragte des Landes Brandenburg)
Prof. Angelo Ishi (Musashi Universität)
Isao Aoyagi (Abteilung für Menschenrechte der Stadt Soka)
Yumiko Yanase (Interkulturelle Informationsstelle der Stadt Soka)
Prof. Tamiko Kuroda (Dokkyo-Universität)
Univ.Dozentin Dr. Keiko Okamura (Dokkyo-Universität)

2007年10月23日火曜日

「語感を養う」 柿沼ゼミ

 今年は大変暑い夏でしたが、柿沼ゼミではその暑さが峠を越したころの9月中旬、山梨県、石和温泉でゼミ合宿を行いました。ゼミの総勢は15名ですが、今回の合宿に参加したのは7名で、「ちょっとさびしい・・・」という声もありましたが、楽しい3日間でした。


 メインテーマは、「ドイツ語と日本語の語彙に表れた文化」について。日本語の「お休み」はドイツ語ではどう表現されるか、ドイツ語の „Urlaub“  „Ferien“ はどのような「お休み」なのか。「山」はいつでも、どこでも „Berg“ と訳せるのか、などと、いろいろな語彙を考え、議論しながら日本語とドイツ語の語感を養っていこうというのが、このゼミなのです。
 さて、ドイツ語だけではなく、日本語のセンスを磨くことも大切です。今回の合宿では、文化庁の国語世論調査の『浸透する若者言葉、誤解目立つ慣用句』も検討しました。「熱にうかされる」か「熱にうなされる」か。また、「流れに棹さす」は「傾向に乗って,勢いを増す行為をすること」か「傾向に逆らって,勢いを失わせる行為をすること」か。このような日ごろ耳にする言い回しなどもこのゼミのテーマなのです。
 勉強をして疲れたら、美味しいワインなどを飲みながら、またまた、別のいろいろなテーマで盛り上がります。今回はワイン工場を見学し、ついでに少し試飲もしました。

 秋学期が始まりましたが、秋の夜長、ドイツ語と日本語の世界を楽しんでみませんか。

2007年10月15日月曜日

ドイツの自転車にやさしい街づくり

 前回、ドイツのミュンスターが「自転車の首都」であることを紹介しました。今回は、ドイツの自転車にやさしい街づくりの取り組みの断片を紹介します。
ドイツでは2年おきに自転車環境アンケートを行われています。アンケート実施は、全国ドイツ自転車連盟(ADFC)、ドイツ環境自然保護連盟(BUND)、連邦環境庁(Umweltbundesamt)の3者が協力して行っています。なおアンケート調査の結果は、連邦政府の全国自転車交通整備計画(Nationaler Radverkehrsplan NRVP)の基礎資料のためにも利用されています。
一番新しいアンケートは2005年に実施され、2万6,000のアンケート用紙が回収されました。その結果、都市人口の規模別にランキングが作成されましたが、人口20万人以上の大都市では、ミュンスターが前回に引き続き1位となり、「自転車首都」の名をさらに高めました。以下、2位キール、3位オーバーハウゼン、4位ハノーファー、5位ブレーメン、6位ライプツィヒ、7位ボン、8位マグデブルク、9位ビーレフェルト、10位カールスルーヘとなっています。ちなみに本来の首都であるベルリンは20位です。人口20万以下でみると1位はエアランゲン、人口10万人以下では1位はボーホルトでした。興味深いことに、「環境首都」として名を馳せているフライブルクは、出てきていません。
このアンケートはどのような項目が質問されているのでしょうか。以下に2005年のアンケート項目を具体的に示しておきます。質問項目は、大きく5つのグループに分けられ、全部で22項目からなっています。それぞれ対極的な2つの見解が示され、6段階でどちらに近いかを選ぶようになっています。点数総計によって、ランキングが導き出されています。
皆さんの身の回りの状況を考えながらチェックをしてみてください。どこが弱いかがはっきりしてくるでしょう。日本でもこうしたアンケートを広げる取り組みが広がるとよいと思います。


「ADFC自転車環境アンケート2005」

A. 自転車環境と交通環境
1.自転車の運転は楽しい。/自転車の運転はストレスである。
2.自転車に乗る人は、私たちの街では交通参加者として受け入れられている。/自転車に乗る人は、私たちの町では真剣に受け止められていない。
3.私たちの街では、全住民および全年齢階層の人が自転車に乗っている。/私たちの街では、自転車はどちらかというと子供の乗り物あるいはスポーツ用品とみなされている。
4.私たちの街では、自転車運転について多くの宣伝が行われている。/私たちの町では自転車運転について全く宣伝が行われていない。

B. 自転車運転における安全性
5.自転車を乗っている時は、安全と感じる。/自転車に乗っているとき、危険と感じる。
6.自転車利用者と歩行者とのトラブルはめったにない。/自転車利用者と歩行者とのトラブルは頻繁に起こる。
7.自転車利用者と自動車とのトラブルはめったにない。/自転車利用者と自動車とのトラブルは頻繁に起こる。
8.私たちの街では自転車専用道路に障害物はない。/自転車専用道路に多くの障害物がある(例、遮断格子、街灯柱)。
9.自転車盗難はほとんどない。/自転車盗難が頻繁に起こる。

C. 自転車運転における快適性
10.自転車専用道路と通行帯の広さは快適でゆとりがある。/自転車専用道路と通行帯の幅は狭すぎる。
11.通りの至るところに駐輪設備がある。/通りには適切な駐輪設備がほとんどない。
12.工事中の場所も自転車を快適にまた安全に通過できる。/工事中には大抵、下車して押して歩かなければならない。
13.簡単にまた低価格で自転車を公共交通機関に持ち込むことが出来る。/公共交通機関に持ち込むことは困難もしくは値段が高い。

D. 自転車運転の価値
14.近年、自転車交通のためにきわめて多くの取り組みがなされた。/ほとんどなされていない。
15.自治体当局は、自動車専用道路に車が駐車しないよう厳しく監視している。/自治体は自動車が自転車専用道路に駐車しても見過ごしている。
16.自転車専用道路は、定期的に清掃されている。/ほとんど清掃されていない。
17.信号の変化は、自転車利用者を考慮している。/信号の変化は自転車利用者を考慮していない。

E. インフラ整備状況・自動車ネットワーク
18.街の中心まで自転車で快適に行くことが出来る。/街の中心まで自転車で行くのは不便である。
19.自転車ですんなりと直接に行くことが出来る。/回り道をしなければならない。
20.一方通行の道でも、自転車には反対方向への走行が認められている。/一方通行の道で、自転車にも反対方向への走行は認められていない。
21.自転車利用者は、交通案内に従って快適に走行できる。/自転車利用者への交通案内がない、もしくは悪い。
22.日ごろ自転車で使っている道としては、主要道路以外にも快適な接続がある。/日ごろ自転車で使っている道としては、主要幹線道路しかない。

回答者の属性についての質問
・ 居住自治体、州
・ 年齢、性別、
・ 自動車免許の有無
・ 自家用車の所有の有無
・ バスや鉄道の定期券の所持の有無
・ 自転車利用の頻度
・ 自動車団体、自転車団体への加盟状況

K.O

2007年10月8日月曜日

ドイツ語圏への旅 林部圭一ゼミ

この演習ではドイツ語圏の文化や社会について調べて、調べたことを現地へ行って確認する旅を企画します。
興味のある事件、人物、問題を調べていくと、それらに関係の深い場所やゆかりの地についても知りたくなり、自分で現地に行って確かめてみたくなるでしょう。そうした史跡や現場や人物の足跡を調べるとともに、将来そこへ行ってみるための旅を企画する、そういうことをこの授業でやってもらおうと思っています。まず、参加者に最も関心のあるテーマについて調べてもらう。そしてそのゆかりの地への旅を考えてもらう。そして調べたこと、企画したことを授業で発表してもらいます。
最近の出席者たちが選んだテーマには次のようなものがあります。内容の説明は担当者本人に書いてもらいました。

 *『ベルリンにおける外国人問題-トルコ人- 』
 ドイツにおける外国人労働者をテーマにした。戦後の復興では労働力の鍵となっていた外国人労働者が現在では失業率の増加に伴って厄介者扱いされている。特に外国人労働者が多い都市ベルリンに焦点をあてた旅を計画した。旅はトルコ人が多い地区を訪れて、2世・3世のトルコ人のドイツ社会での現状を調査してくるという内容である。(F.N.)

*『ボーデン湖とコンスタンツ』
 ボーデン湖を知っていますか??ドイツ・スイス・オーストリアの国境に位置する、丁度日本の琵琶湖と同じ位の大きさの湖です。 コンスタンツはドイツ側のボーデン湖畔最大の都市であり、私はこのゼミでボーデン湖とコンスタンツの関わりについて発表しています。人間の生活は、水との関わりが深いものです。調べれば調べるほど、ボーデン湖やコンスタンツの美しさの虜になっていきます!! (M.S.)

*『自転車によるヴェーザー川旅行計画 』
 この世で最もエネルギー効率が良いと言われる自転車で、ドイツの美しい田園風景や町並みを満喫する旅を計画しました。
モットーは環境に優しく、財布に優しく、人に優しくです。(T.K.)

*『ドレスデン聖母教会
 ザクセン州の州都ドレスデンに存在するプロテスタントのドレスデン聖母教会は1743年にゲオルク・ベーアという人物によって建てられた。後の第二次世界大戦において大空襲を受け、その後無惨な姿のまま放置されていたが、1989年ごろから復元を求める声が高まった。東西ドイツ統一後の1994年に復元工事が開始され、さまざまな問題を乗り越えて2005年10月に聖母教会は再び市民の前に姿を現した。旅の計画では、聖母教会のある旧市街地区などを訪ねる5泊7日の旅を考えた。(A.K.)

*『Freiburg 環境配慮型都市ツアー』
私がこのテーマを選んだのは、環境先進国と言われるドイツの中でも、特に取り組みや設備が充実しているフライブルクがどんな都市であるかに興味を持ったためです。
都市そのもののつくりや制度がすでに環境を配慮していることで、環境にやさしい暮らしをしやすい都市であるということを、このツアーによって実感できるよう考えました。(A.S.)

*『シュトゥットガルトを巡る』
 ベンツやポルシェが本社を構える、ドイツを代表する工業都市でありながらも、葡萄の産地でもあり、全く違った2つの顔を持つ、シュトゥットガルト。
2006-2007シーズンのブンデスリーガを征したのも、記憶に新しい。
今、シュトゥットガルトが熱い。(I.E)

ほかに次のようなテーマもあります。
*『ノイシュヴァンシュタイン城への旅』
*『ライン河にふれる旅』

2007年10月7日日曜日

Die Kopisten Johann Sebastian Bachs

Die Kopisten Johann Sebastian Bachs. Katalog und Dokumentation, von Yoshitake Kobayashi und Kirsten Beißwenger, Band 1: Textband, Band 2: Abbildungsband, Kassel: Bärenreiter 2007 (Johann Sebastian Bach. Neue Ausgabe sämtlicher Werke, hrsg. vom Johann-Sebastian-Bach-Institut Göttingen und vom Bach-Archiv Leipzig, Serie IX/3)


Der Kompositionsprozess geht immer mit einer Verschriftlichung der Musik einher. Bei mehrstimmig besetzter Musik schreibt der Komponist zunächst eine Partitur, aus der dann die einzelnen Stimmen herausgeschrieben werden müssen, um das Stück aufführen zu können. Das Ausschreiben der Stimmen war in den früheren Jahrhunderten meistens eine Aufgabe von Kopisten. Bach hatte, vor allem für das Herstellen der originalen Aufführungsmaterialien seiner kirchlichen Werke, in all seinen Berufsjahren Kopisten beschäftigt, die meisten während seiner Zeit als Thomaskantor in Leipzig (1723-1750). In Mühlhausen, Weimar und Köthen halfen ihm Privatschüler, Berufskollegen und Familienangehörige, in Leipzig waren es auch – und dies in erster Linie – die Thomasschüler.



Der Katalog erfasst nun alle 259 Kopisten, die nachweislich für Bach gearbeitet haben, und verzeichnet sämtliche ihrer Eintragungen in den originalen Notenmaterialien. Ferner gibt er Auskunft darüber, von wann bis wann ein Kopist für Bach gearbeitet hat, seinen Lebenslauf, soweit der Schreiber namentlich bekannt ist, und den Stand der Forschung zu den einzelnen Kopisten. Außerdem sind in schematischen Schriftproben die wichtigsten Merkmale der Notenschrift von allen Schreibern abgebildet. Sie dienen der Identifiezierung der Kopisten, z. B. bei neuen Quellenfunden. Im Abbildungsband erhält jeder Schreiber Platz für mindestens eine von ihm geschriebene Notenseite. Die Abbildungen sollen dem Betrachter die Möglichkeit geben, von der Schrift eines jeden Kopisten einen Gesamteindruck zu bekommen.
Der Katalog fasst die im Rahmen der Editionsarbeiten innerhalb der Neuen Bach-Ausgabe gewonnenen Erkenntnisse über die Kopisten Bachs zusammen und ergänzt sie durch Neuerkenntnisse. Er ist ein wichtiges Werkzeug innerhalb der Bach-Forschung und ist allgemein beispielgebend für die Schreiberforschung auf musikalischem Gebiet.

2007年9月29日土曜日

NHKラジオドイツ語講座にヴェルナー&矢羽々先生登場!

ヴェルナー先生,矢羽々先生がNHKラジオドイツ語講座応用編を担当 10月からNHKラジオドイツ語講座応用編(金・土,6:45-7:05,再12:40-13:00)を 担当するのは,ヴェルナー先生と矢羽々先生。「リョースケ,ドイツの森を行く」と題 して,主に日本語をドイツ語にする練習をしていきます。 金曜日には,ドイツでドイツ語修行中のリョースケくんからのメールをもとに,細かい ニュアンスを伝えるための表現をチェックしたり,日本の文化をドイツ語で発信する練 習をします。 土曜日は,文学的なテキスト,村上春樹「かえるくん,東京を救う」(10月),中川李枝 子「おおかみ」(11, 12月)といったメルヒェン的な要素を持ったテキストをもとに,日 本語をドイツ語にする際に出てくる問題点や面白さをチェックしていきます。 初級の人でも,ドイツ語の発想法など,これからの学習に役立つ情報満載です。ぜひ聴 いてみてください!

2007年9月28日金曜日

ゲーテ・インスティトゥート ドイツ語講座開催!

秋期獨協大学オープンスクールドイツ語講座募集要項
ゲーテ・インスティトゥート ドイツ語講座
(ドイツ政府の海外教育機関)   
 
受講のメリット
 その1 獨協大生には大学からの補助により特別料金が適用
 その2 ゲーテ本校と同じ授業が本学キャンパスで受講できる
 その3 受講後、講師から受講証明書(評価を含む)がでる

開講期間:10月25日(木)~12月20日(木)

*開講日程について
 火曜日クラス最終日:12月11日(火)【10/23(火)は創立記念日のため休講です】 
木曜日クラス最終日:12月13日(木) 【11/1(木)は大学祭準備のため休講です】
 
◆受講対象者:本学学生(学部・学科不問)及び一般社会人 
◆申込期間:9月25日(火)~10月16日(火)天野貞祐記念館ICZ3Fカウンターにて
◆レベルチェック: 10月17日(水) 15:00、または16:45~

v証明書について
 講座最終日にお渡しする予定です。外国語教育研究所での保管期間は2007年1月末までです。

詳細は天野貞祐記念館ICZ3階外国語教育研究所
048-946-1907 まで

2007年9月27日木曜日

大学院外国語学研究科 ドイツ語教育講演会のお知らせ

「 ドイツ語学習と英語
―正しい発音をどう学ぶか 」

 講師:ドイツ・ハレ大学教授
Ursula Hirschfeld氏
(ウルズラ・ヒルシュフェルト)

  日時:2007年10月3日(水)
       午後3時~4時30分
場所:6棟408教室
 (講演はドイツ語で行われ、随時、通訳があります)
       主催:大学院外国語学研究科  

第38回 天野杯ドイツ語弁論大会 参加者募集!!!

2007年12月1日(土)、獨協大学ドイツ語会話研究会(D.U.K)主催によりドイツ語 弁論大会が開かれます。伝統のあるドイツ語弁論大会です。ふるってご参加ください。  大会要綱および申し込み方法については、以下のHPをご覧ください。 http://www2.dokkyo.ac.jp/~club0069/

2007年9月25日火曜日

山本淳ゼミ紹介

20世紀前半のドイツ文化

 文学や思想、演劇、美術、建築、音楽、さらに映画やラジオなど、多方面の文化領域にわたり、さまざまな問題と可能性がせめぎ合った20世紀前半のドイツ。私たちはこの時代の文化に、現代大衆文化のひとつのプロトタイプを見ることができます。私たちのゼミでは、20世紀前半のドイツ文化に対し、その姿を捉え直すための様々なアプローチを試みると同時に、その作業を通して、現代文化が抱える問題とそれが持つ可能性について考察していきます。
 この時代のドイツの文化状況は、政治や社会の状況と同様、新旧さまざまな動きのせめぎ合いの中にありました。その不定のアンビヴァレントな運動の諸傾向は、テクノロジーの進歩と大衆社会の進展の中、さまざまな問題と可能性をはらみながら、次第にナチズムという全体主義的一元化・画一化の過程に呑み込まれていきます。
 無論、現代の文化状況がその当時の文化状況と同じということはありませんが、時代の中で感じる閉塞感、テクノロジーの進歩と大衆社会が抱える問題という点で、そこにアナロジカルな要素を見ることができます。この時代の文化が抱える問題を考えることは、現代文化が抱える問題を考えることにつながっていきます。
 春学期は、統一テーマを決めて共同作業を行います。小テーマごとにグループに分かれ、分担して研究・発表・討論を進めていきましょう。これまでに扱った統一テーマは「ドイツ表現主義」「バウハウス」「ヒトラーと退廃芸術」などですが、どのテーマを選ぶかについては、あらかじめみなさんと話し合いたいと思います。秋学期は、各自が自分の関心に合ったテーマを設定し、研究・発表・討論を行います。履修者全員、ゼミ論または卒論という形で1年間の成果をまとめます。
 合宿は、夏・春の2回行う予定(春は例年、山路先生、渡部先生、矢羽々先生のゼミと、文学・文化をテーマとした合同ゼミ合宿を実施しています)。また授業外でも、懇親を兼ねしばしば一緒に美術展や演劇等に出かけています。
 さまざまなタイプのメンバーが集まり、いつもゼミの雰囲気はとても楽しくなごやか。みんなまじめだけれど、けっして堅苦しくはありません(どちらかというとのんびり屋の教師を、ゼミ生のみなさんが、しっかりひっぱっていってくれています?)。
もしよろしければ、ぜひ私たちのゼミに参加しませんか?

2007年8月25日土曜日

本多喜三郎ゼミ

このゼミではドイツ語圏の社会に関する事柄の中から各自が興味のあるテーマを選んで調査し、それを日本の場合と比較しながら考察します。その結果は各学期に1回、20分~30分の研究発表で紹介され、その際の質問や討論の内容を参考にして学期終了後にレポートにまとめられます。学期の開始後数回の授業は、研究発表の準備期間として文献講読や関連ヴィデオの視聴に当てられます。2007年度春学期のレポートのタイトルとその内容を簡単に紹介します。

1 ドイツ戦後外交史
コンラート・アデナウアーからアンゲラ・メルケルに至る戦後(西)ドイツの首相の外交政策を概観。
2 ドイツの歴史教科書問題と日本
ドイツとポーランドの共同歴史教科書作成を例に日本の歴史教科書問題を考察。
3 レーベンスボルン(Lebensborn)
ユダヤ人迫害に比べるとあまり知られていないレーベンスボルン計画についての報告。レーベンスボルン(Lebensborn)とは「生命の泉」という意味で、ヒトラーがドイツ人に求めた「金髪、碧眼、長身のアーリア人種」の人口を増やすために設立された協会および施設のことを指して言う。
4 ドイツの原子力政策
ドイツの脱原子力発電の契機とその影響についてのレポート。
5 年金問題について考える ―ドイツと日本の比較―
ドイツと日本の年金制度の概要とその問題点を考察
6 農業の可能性 ―ドイツと日本の場合―
ドイツと日本の農業の現状を紹介し、問題の解決策を探る。
7 ドイツの法曹養成
ドイツの職業法律家(裁判官、弁護士、検事)の現状とその養成制度に関する報告。
8 就職活動についての日独比較
大学生の就職活動についてドイツと日本の現状を比較。
9 家庭と仕事の両立―ドイツと日本における―
ドイツと日本の育児休業制度の成り立ちとその内容を比較。
10 母親が働ける環境
女性就労と育児の問題を、税制、社会保険制度、男女間の役割分担意識などの面からドイツと日本を比較。
11 日独のペット保護について
ドイツのペット事情を特に犬について紹介し、ペットを保護するために日本でもドイツのような法的手段が必要と説く。
12 ドイツの休日 ―日曜日・祝祭日―
ドイツでの日曜日・祝祭日と仕事の関係を、何度かにわたる閉店法の改正を通して考察。
13 ドイツワイン ―ブドウ品種と栽培地域からの考察―
ドイツワインの主要なブドウ品種の特徴と栽培地域の紹介。
14 ドイツパン
日本人にとってドイツパンはフランスパンほど馴染みがないが、ドイツもパンの種類の多い国。ここではドイツパンの特徴と代表的な種類を写真つきで紹介。
15 ドイツのお菓子
ドイツでは家庭でよくケーキを作る。このレポートではドイツ菓子の特徴と代表的な種類を紹介。(レポートを執筆した男子学生は、研究発表の際にお手製のケーキを持参した。 なお、有名なバームクーヘン ( Baumkuchen ) に関しては、ドイツ語学科のホームページに教員ブログ Kostbare Eier und Baumkuchen があります。)

YH

2007年8月15日水曜日

自転車にやさしい街づくり

私は時々自転車に乗って通勤する。最短距離で9キロくらいであろうか、ルートは数え切れない。その日の気分によっていろいろな組み合わせで走る。静かな道を走りたいときは川沿いの緑道を、賑やかな雰囲気を求めるときは商店街を通り抜ける道を選ぶ。コーヒーを飲みながら一服できる店も10以上はあろうか。日差しの強い夏には、午前中早めに家を出て、鉄道高架線の陰にそって走ってくる。
快適な道もあるのだが、いつもそうだとは言えない。自転車も車両にあたるので、本来は歩道を走ってはいけない。特に近年自転車マナーが注目されてきているので、むやみに歩道は走れない。しかし交通量の激しい道で車と併走するのは緊張する。急いでいるときには国道を通ることも多いが、大型トラックが通りすぎるときには、何となく体が引き寄せられる気がする。自転車のための専用道路の整備が遅れている。快適で安全な状況というには程遠いのが日本の現状であろう。
世界で一番自転車にやさしい国、自転車専用道路が整備されている国はオランダである。だいぶ前であるが、先進国首脳会議(サミット)が開かれた際、各国首脳が自転車に乗って会場を移動するという、いかにもオランダらしい演出があった。たしかそのときのドイツ首相はヘルムート・コールだったと思うが、あの巨漢のコールも自転車移動したのだったか。想像するだけも微笑ましい光景である。ちなみに第二次世界大戦後、ドイツ人がオランダを訪れるとオランダ人からよく言われたことに、「俺の自転車を返せ!」という言葉だったという。これは、ナチスによるオランダ占領中にドイツ人がオランダ人から自転車を奪い取っていったことによる。これもオランダの自転車大国ぶりを示すエピソードであろう。
オランダほどではないが、ドイツもヨーロッパのなかでも自転車環境が整備されている国に挙げられよう。初めてドイツに行ったとき、歩道と思ってフラフラ歩いていたところ、自転車に乗っている人から叱られた。その時、歩行者が通ってはいけない自転車専用道路というものがあるということを始めて知った。
ドイツで自転車に一番やさしい街はミュンスターという街である。地元の人たちは、「自転車の首都」といって誇りにしている。確かに街には自転車専用道路が整備されている。ただ整備されすぎているために、自転車利用にあたってのルールが複雑で、標識などにも習熟しなければならない。自転車運転講習のパンフレットがミュンスター市のHPからダウンロードできるが、自動車教習所の教科書と見間違うような中身の濃いものである。ところで、ドイツの自転車はペダルを逆に回すとブレーキがかかる。これは日本にはない。また「ママチャリ」も日本にしかない。ドイツで自転車に乗るときは、まずは自転車自体に乗れるようになった上で、交通ルーツに習熟しなければならない。自転車にやさしい社会も最初はそれなりに大変そうである。
次回は、ドイツでの自転車専用道路の整備に向けてのお話を書きます。
K. O

2007年7月20日金曜日

渡部ゼミ

 渡部ゼミのテーマは「魔女」です。ヨーロッパで、中世から近世にかけて広く行われた魔女狩り・魔女裁判は、人間の奥底に潜む残酷性のよく現れた現象だと言えます。それだけにこのテーマに関する文献は数多くあり、研究者はさまざまな視点からこの現象の分析を行っています。
 春学期はゼミ生が6つの小グループに分かれて、グループごとに1つの文献を担当し、その内容を6つのポイントに沿って要約・発表することを中心に進行しました。そして最終回には、上記6つのポイントについて、各文献における記述の違いを比較検討しました。
 例えば、なぜ魔女狩りが起きたのか、つまり、魔女狩りの起源についても、文献によって記述がかなり異なっていました。ある文献では、魔女狩りは教会が自らの権威を保つために起こした現象である、という見解が示されている一方で、他の文献では、それは民衆の間にもともとあった魔女に関する噂・信仰から発展したものである、と書かれています。
 このように、いろいろな見解を比較・検討しながら、歴史上の魔女狩り・魔女裁判について批判的に検証するのが、春学期のゼミの内容でした。

       (ハルツ地方シールケの町で買った魔女の人形です!)

 秋学期は、春学期に得た知識をもとにして、1)グリム童話と「魔女」―グリム童話に出てくる「魔女」、あるいは、グリム童話書き換えの過程で「魔女」化していく女性登場人物について―、2)文学作品化、あるいは映像化された「魔女」―例えば、シェークスピアの『マクベス』などを始めとして、古今東西の文学作品、映画などに登場する「魔女」のイメージ分析などをしてみる、3)ドイツの、いわゆる「魔女街道」にまつわるさまざまな伝説などを収集、分析、比較検討してみる、などといった方向へ展開して行く予定です。
 テーマは残酷で暗いものではありますが、ゼミはさながら「ファミリー」のように明るく、和気あいあいとしています。各グループによる発表の後には質疑応答の時間もあり、さまざまな個性的な意見が飛び交いました。みなが互いの意見を尊重し、ゼミ自体はとてもいい雰囲気です。

春学期にゼミで取り扱った文献:
①森島恒雄『魔女狩り』岩波書店(岩波新書)、②浜林正夫、井上正美『魔女狩り』教育社(教育社歴史新書)、③ジャン-ミシェル・サルマン(池上俊一監修、富樫瓔子訳)『魔女狩り』創元社(「知の再発見」双書)、④ジェフリ・スカール、ジョン・カロウ(小泉徹訳)『魔女狩り』岩波書店(ヨーロッパ史入門)、⑤牟田和男『魔女裁判 魔術と民衆のドイツ史』吉川弘文館(歴史文化ライブラリー)、⑥イングリット・アーレント=シュルテ(野口芳子、小山真理子訳)『魔女にされた女性たち 近世初期ドイツにおける魔女裁判』勁草書房


  (ゼミ生の大久保君が書いてくれた原稿に、渡部が若干加筆しました)

2007年7月11日水曜日

講演会「メルヒェンの可能性」、盛況でした!

7月9日,本学小講堂にてドイツ語学科主催の講演会「メルヒェンの可能性」が開催され ました。講師は,ドイツの学術アカデミー付属メルヒェン百科事典編集所の代表,ハン ス−イェルク・ウター教授と,アウグスブルク大学のザビーネ・ヴィンカー=ピーフォ 教授のお二人で,ともにメルヒェン・民話研究では国際的に知られた研究者です。渡部 重美学科長のごあいさつのあと,さっそく講演会がはじまりました。 ウター教授は,「しあわせなハンス(KHM 83)」を題材に,物質的な富を得ることでは なく,心の赴くままに生きることに幸せを見出す主人公の特異性を浮き彫りにして, 人々がこの物語をどう読んできたのかを論じました。

講演の後半部では,ハンスがイラ ストやコマーシャルに描かれている様子を発表直後の1820年代からていねいに跡づけ ていました。 考えてみると,メルヒェンの主人公は,ほとんどが上昇志向を持っていて,富を得た り,身分が上の人間(王子や王女)と結婚することで幸せになります。ところがこのハ ンスは,そのまったく逆を行く存在で,最後は無一物になりながら,故郷の母のもとへ と喜びながら帰っていくのです。ハンスとは,上昇志向の「近代」のアンチテーゼとし て,「ポストモダン」な存在なのかもしれません。
ヴィンカー=ピーフォ教授の講演は,広範な知識を駆使して,メルヒェンや民話に描か れるお城のタイプを分類し,そこにある崇高の美学などから,現代のお城(高層タワー など)の意味までを探る意欲的な論考でした。とくに,皆さんもご存じのノイシュヴァ ンシュタイン城(1886年完成)のモデルとなったイラストが紹介され,この城のメル ヒェンとの関連が明確にされました。
1862年,当時一般的な物語メディアだった「一枚絵」に崖の上に立つ,たくさんの塔 がある城が描かれました。このイラストをもとに,同じ年の仮面舞踏会の舞台セットに 城が造られ,これをルートヴィヒ2世などが見ていて用いたのだ,との指摘。これはあ まり知られていない事実で,驚かされました。 メルヒェン民話研究の最先端にふれることができた,非常に内容の濃い講演会でした。 会場の35周年記念館小講堂には,140名を超える聴衆がおいでくださり(半数以上が外 部からのお客様でした),熱心に聞き入っておいででした。アンケートの結果からも, 非常に満足度が高かったことがうかがえました。 (ty)

2007年7月8日日曜日

Du bist jetzt schon allein

Wir tanzten bis zum Ende zum Herzschlag der besten Musik ... (Fehlfarben)
Gehört. Wiedergehört. Deutschsprachiger Rock und Pop.
Heute: Du bist jetzt schon allein. Neonkrieger. (2006)

Song: "Du bist jetzt schon allein"Interpreten: Neonkrieger, CD „Neue Wege“Text und Musik: Winter/Bockstahlerhttp://www.neonkrieger.de/
(Der folgende Songtext wird mit freundlicher Genehmigung von Joe Heynes Winter hier veröffentlicht.)
Ganz egal wohin ich geh überall riechts nach alkoholder süße duft von deinem blut liegt in der luftdreckiges wasser verzerrte blicke lust und schweißich hoffe du bist nicht hier obwohl ich es besser weiß du bist nicht wirklich du bist nicht reinund du hast angst alleine zu seindeine freunde geben dir schutz und schließen dich einpass auf du bist jetzt schon allein Ganz egal wohin ich geh überall sind die augen hohlsie suchen dich doch du suchst michdreckiges wasser..... Alle 5 Songs der CD „Neue Wege“ zeichnen sich durch gute Texte aus, die nur leider im Beiheft der CD nicht abgedruckt sind. Wirklich schade, die Bands denken eben nicht dran, dass man mit guten Songtexten auch Deutsch lernen kann! Die „Neonkrieger“ sollen übrigens live besonders gut sein. Also, wenn Sie in den Sommerferien in Deutschland sind, nachsehen, ob die Band irgendwo in der Nähe spielt und hingehen!Bis zum nächsten Mal ISA

2007年7月1日日曜日

Panoptikum in GOETHE INSTITUT

こんにちは。ドイツ語劇集団のPanoptikumです。
私達は、獨協大学のいたる所にひょんと集まり、ドイツ語で劇をする結成3年目の団体です。



少し時間がさかのぼりますが、2007年3月30日に、
GOETHE-INSTITUTの"Learn1 European!-Monolingualism's Misery「ヨーロッパ語」を学ぼう!-多言語学習のメリット"というシンポジウムがあり、その催し物として出演させていただきました。演目は、ドイツでとても有名な作家のKarl Valentinの"Der Ententraum"・"DieFremden"と、Loriotの"Der Lottogiwinner"をしました。


今回の劇は、ドイツ演劇の面白さを伝えるのはもちろん、ドイツ語の美しさを伝えるという試みで、この3演目に挑みました。が、ドイツ語の美しさと劇としての面白さを同時に演出するために、様々な韻をふんだセリフがたくさんあったので、観客のみなさんに理解してもらえる否か!という不安と期待を抱えながら舞台に出ました。しかし、舞台中韻をふんだセリフの部分で笑いがおき、表現したかったことがみなさんに伝わり、Panoptikm一同とても嬉しかったです。
今回のシンポジウムに出演できたことは、Panoptikumにとって非常によい機会となりました。この経験を活かし、これからも色々なことに挑戦するドイツ語劇集団として、突き進んでいこうと思います。

もし、劇団Panoptikumに興味がある方は、
d-theater_dokkyo-panoptikum@hotmail.co.jp までご連絡下さい。
以上、ドイツ語劇集団Panoptikumでした。

Kostbare Eier und Baumkuchen („Prügelkrapfen“)

Eier zu jeder Jahreszeit und in großen Mengen sind für uns eine Selbstverständlichkeit. Ausserdem müssen sie billig sein. Die meisten Käufer sind nicht bereit, mehr als das absolute Minimum dafür zu bezahlen.
Aber eigentlich legen Hühner nicht das ganze Jahr Eier. Vögel in der Natur tun das ja auch nicht. Im Winter legen Hühner nur wenige oder gar keine Eier. Noch vor 40, 50 Jahren musste man deshalb für den Winter vorsorgen und Eier konservieren, indem man sie zum Beispiel in Kalk einlegte. Zum Frühstücks- oder Spiegelei waren solche Eier natürlich nicht geeignet, aber zum Backen reichte die Qualität.
In der modernen Produktion von Hühnereiern werden dem Huhn die frisch gelegten Eier sofort weggenommen. Ein Huhn würde sonst nur 10 bis 12 Eier legen und sich dann draufsetzen und brüten. Man betrügt das arme Huhn also und bringt es - auch durch spezielles Futter und künstliche Beleuchtung - dazu, bis zu 300 Eier im Jahr zu legen.


Süßspeisen wie Baumkuchen, für die viele Eier nötig sind, waren früher verständlicherweise ein großer Luxus. Große Baumkuchen aus 60 und mehr Eiern waren in Österreich, wo sie „Prügelkrapfen“ genannt werden, typische Hochzeits- und Festtagskuchen. Ich erinnere mich, dass bei den Hochzeiten die Gäste mit Bewunderung über die große Zahl der Eier, die für den Prügelkrapfen nötig waren, sprachen.
Auch die weiteren Zutaten waren nicht billig, denn für den Kuchenteig braucht man Butter, Zucker und Mehl jeweils im gleichen Gewicht wie die Eier. Und erst die Herstellung des Prügelkrapfens! Sie war sehr aufwendig und anstrengend. Mindestens zwei Personen waren zwei Tage lang damit beschäftigt. Über offenem Feuer wurde ein großer Holzsspieß (Prügel) langsam gedreht, auf den schichtweise der Teig aufgegossen wurde. Man musste regelmässig drehen, das Feuer musste immer eine bestimmte Temperatur haben, die einzelnen Schichten mussten gut durchgebacken sein, damit das ganze komplizierte Gebilde am Ende nicht in sich zusammenfiel. Die Oberfläche wurde festlich in Rot und Weiß verziert.
Echte Baumkuchen bzw. Prügelkrapfen werden wegen des großen Arbeitsaufwands und dem Verbot von offenem Feuer im Haushalt heute kaum mehr hergestellt. Die maschinell erzeugten Massenprodukte haben leider mit dieser Köstlichkeit nur den Namen gemein.
ISA

2007年6月29日金曜日

『氷河の滴』 現代スイス女性作家作品集の紹介

編訳:スイス文学研究会
初版:2007年5月31日
出版社:鳥影社
価格:2 100円(税込み)
サイズ:B6
ページ数:328


内容紹介:
1970年以降のスイスの女性作家たち14人の15の作品集。
スイスという社会的にも政治的にも特殊でもあり同時に普遍性と多様性に富む現代社会の中で、それぞれの女性たちが誠実に、深く、鋭く社会、人間関係、自己を凝視し、文芸作品に結晶させた。

現代スイスでは、とくに1970年代から女性作家たちの活動がめざましい。それまで表現の場が限られ、自分の考えや思いを内に堆積させていった女性たちのエネルギーがついに溢れ出た感がある。まるで長い長い年月堆積された雪や氷の氷河から滴が溶け出し、大きな流れとなっていくような姿と重ね合わせて、総合表題を『氷河の滴』とした。どんなに重く固い氷河からも滴は流れ出す。


興味のある方:amazon、楽天市場、ライブドアブックス、丸善インターネットショッピング等でも購入できます。

K. O

クラウスの独り言 5

ゴブサタシテイマス。クラウスです。大学でははしかが流行しているようですが、ボクははしかにはかかりません。フィラリアのほうが怖いです。



 この前はワインの格付けと等級についてのお話でした。今日はこられをどう飲むか、ぼくのツレの話の受け売りです。
 まず、ワインをおいしく飲むのはなんと言っても温度です。おおよそ以下のとおりです。
  スパークリングワイン(ゼクト) 8~10℃
  カビネット級のワイン      10~11℃
  遅摘ワイン級のワイン      12~13℃
  選り摘み級のワイン       13~15℃
  赤ワイン            18℃(室温)
 
 さて、ここでその飲み方です。まず、栓をあけます。この時に注意しなければならないのは静かに、ゆっくりと抜くことです。一般にポンッと大きな音を立てて抜くことが多いですが、これはだめです。ワインの味が損なわれてしまうそうです。
次にワインの色、輝きを見ます。そのためグラスは透き通ったものでなければなりません。そしてグラスの柄 (Stiel) を持ち目線くらいに掲げます。何人かの人たちとパーティーなどでいただくときには、お互いの目をちょっと合わせてアイコンタクトを。相手が素敵な人であっても長いことじっと見つめていないほうがいいでしょうね。そしてZum Wohl! あるいはProsit!と乾杯をして、そのあと口に含み、ゆっくりと味と香りを楽しみます。飲み終わってからのアイコンタクトも忘れないでくださいね。それでお話するきっかけができるのですから。

 さて、この間ちょっと雨が降ったときに、久しぶりにツレと散歩に出かけました。そのときにツレはこんなことをボクに話してくれました。あるドイツ人に質問したことがあるそうです。日本に住んでいて何が一番なくてさびしいと思うって。するとその答えは、ソーセージでもなくワインでもなく、『アイコンタクト!』だったそうです。ウーン、ボクはうなってしまいました。そんなことボクはあまり考えたことはなかったですし、ボクにとってそれはあたりまえのことだったからです。でも、そのドイツ人は言ったそうです。『日本人は目が合うとさっとそらしてしまうんだ。ニコってしてくれたらいいのにね』。ドイツではエレベータの中で知らない人と合ったときにもニコッって微笑んでくれんだけどね。日本人は恥ずかしがりやなのかな、と答えておいたということでした。
ではまた今度。チュース。

2007年5月6日日曜日

Wein&Geschichte Rotwein aus Österreich: Zweigel

Dieser Text sollte GANZ anders werden. Da wusste ich nicht…

Aber langsam und der Reihe nach!
Zeit: vor der Verbreitung des Fernsehens. In unserer kleinen Stadt, die von Weinbau lebt, traf man sich nach der Arbeit in den Weingärten gewöhnlich in einem Kellerstüberl (ein kleiner Raum über dem Weinkeller) zum Abendessen und Reden. Dabei hörte ich immer wieder den Namen Zweigelt. Herr Zweigelt, früher Lehrer an der Weinbauschule, experimentierte mit Rotwein. Das war faszinierend. Wein bei uns war weiß. Rotwein trank man an Festtagen. Oder wenn man krank war. Man schrieb ihm blutbildende Kräfte zu.
Viele Jahre später, 1988, der sogenannte Weinskandal. Da das Klima in Österreich keine süßen Weine hervorbringt, der Markt aber süße Weißweine „verlangte“, hatten Weinbauern betrügerischerweise unerlaubte Zusätze beigemengt. Nach Bekanntwerden des Skandals konnte österreichischer Wein nicht mehr verkauft werden. Viele Weinbauern verloren ihre Arbeit – auch solche, die nicht beteiligt waren, und auch einige australische, weil man sie mit österreichischen verwechselte.
Dann kam der große Neuanfang. Sehr strenge Gesetze, neue Sorten und vermehrter Anbau von Rotwein (derzeit ca. 9 Prozent der Rebfläche). Und die häufigste und populärste Sorte ist der Rote Zweigelt von dem Herrn Zweigelt meiner Kindheit.
Für diesen Text habe ich ein bisschen recherchiert (Informationen gesucht). Und hier nimmt mein Text einen anderen Verlauf, als ich erwartet habe. Der von allen verehrte und bewunderte Dr. Zweigelt war ein fanatischer Nazi, der als Direktor einer Weinbauschule bei Wien sogar einen Schüler, der im Widerstand tätig war, der Gestapo ausgeliefert haben soll.
Natürlich hat die politische Einstellung des Züchters nichts mit der Qualität dieses ausgezeichneten Rotweins zu tun. Aber muss man diesen Mann ehren, indem man den Rotwein nach ihm benennt? ISA

Übrigens: haben Sie den Film „Mondovino“ von Jonathan Nossiter schon gesehen? Nicht nur für Weintrinker interessant! www.mondovino.jp

2007年4月30日月曜日

Weißes Papier

Wir tanzten bis zum Ende zum Herzschlag der besten Musik ... (Fehlfarben)
Gehört. Wiedergehört. Deutschsprachiger Rock und Pop.
Heute: Element of Crime. Weißes Papier. (1993)

Leider konnte ich nicht herausfinden, wo man die Genehmigung für die Veröffentlichung des Textes bekommen kann. Vollständig kann man ihn hier finden.
HYPERLINK "https://webmail.dokkyo.ac.jp/wm/mail/fetch.html?urlid=269adc728a813cb5c1bba39bce200c7c7&url=http%3A%2F%2Fwww.mp3lyrics.org%2Fe%2Felement-of-crime%2Fweisses-papier%2F" \t "_blank" http://www.mp3lyrics.org/e/element-of-crime/weisses-papier/
(und dann wieder auf diese Seite zurückkommen!)

Ein Herz-Schmerz-Trennungssong, der erfreulicherweise ohne die Worte Herz und Schmerz auskommt.
„Ich nehm deine Katze und schüttel sie aus
Bis alles herausfällt, was sie jemals aus meiner Hand fraß.
Später klopf ich noch den Teppich aus,
Und find ich ein Haar von mir darin, dann steck ich es einfach ein.
Nichts soll dir böse Erinnerung sein, verraten, was ich dir gewesen bin.“
Mir tut natürlich die Katze leid, die geschüttelt wird, um ja alle Spuren dieser Beziehung auszulöschen. 
„Die Hose, die du mir gehäkelt hast, werf ich in den Container der Heilsarmee rein.“
Die gehäkelte Hose finde ich ein wirklich gelungenes Bild fürs Verliebtsein: die Mühe, die das Mädchen investiert (offenbar kann sie nicht einmal stricken, die Arme) aber auch die Inbesitznahme bzw. Markierung (das ist mein Freund, und er liebt mich, würde er sonst mit einer gehäkelten Hose herumlaufen? das Gitterartige von Gehäkeltem!) und die Lächerlichkeit, die der Junge auf sich nimmt, wenn er das Resultat ihrer Anstrengung trägt.
In der dritten Strophe droht der Text doch in die normalen Stereotypen (Wind im Haar, seufzende Wellen) zu kippen,
„Nicht mal das Meer darf ich wiedersehen, wo der Wind deine Haare vermisst.
Wo jede Welle ein Seufzer und jedes Sandkorn ein Blick von dir ist.“
kriegt aber dank „versaut“ (kaputt gemacht, zerstört, ungenießbar gemacht) gerade noch die Kurve (die Kurve kriegen: es geht gut, nichts passiert; etw. bewältigen).
„Am liebsten wär` ich ein Astronaut, und flöge auf Sterne,
wo gar nichts vertraut und versaut ist durch eine Berührung von dir.“
Nicht anhören, wenn man wirklich unglücklich ist, denn die Trompete von (Sänger, Gitarrist und Trompeter) Sven Regener, soulig und kratzig, ist wirklich herzergreifend. Erst, wenn man es überstanden hat und über seine diversen gehäkelten Hosen lachen kann.
„Weißes Papier“ (die Worte kommen wiederholt im Refrain vor) ist der Titelsong des 7. Albums von Element of Crime.
Wäre es zur Trennung gekommen, wenn der Mann schon früher so sorgfältig Teppich geklopft und Haare entfernt hätte? ISA

クラウスの独り言 4

 ミナサン、ゴブサタシマシタ。クラウスです。
このところ日本は雨続きですが、梅雨のないドイツでは、5月、6月はさまざまな花が一斉に咲き始め、一年の中でも特に美しい、そして快適な季節です。ハイネは詩集„Buch der Lieder“ (「歌の本」)の中に „Im wunderschönen Monat Mai“ (美しい五月に)で若者の思いをつづり、シューマンが歌曲 „Dichterliebe“(詩人の恋)でこれに曲を添えていますが、こんな気持ちになるのはボクだけでしょうか。
Im wunderschönen Monat Mai,     美しい五月に
Als alle Knospen sprangen,       つぼみがみな開いたとき
Da ist in meinem Herzen        そのときぼくの心に
Die Liebe aufgegangen.         愛が芽ばえた
Im wunderschönen Monat Mai,     美しい5月に
Als alle Vögel sangen,          鳥たちがみな歌をうたうと
Da hab ich ihr gestanden        そのときあのひとにうちあけた
Mein Sehnen und Verlangen.      ぼくのあこがれと熱い思いを
 さて、恋人と語り合いながら飲むのはやっぱりワインでしょうか。あまり感傷的にならないよう、先日のワインのお話を続けることにします。
 Qualitätswein mit Prädikat (クヴァリテーツヴァイン ミット プレディカート)というドイツに独特の、いわゆる「肩書き」のついた上級品質ワインには5段階の肩書きがあるということでした。この段階は以下のとおりです。
1. Kabinett (カビネットワイン)
2. Spätlese (遅摘みワイン)
3. Auslese  (選り摘みワイン) 
4. Beerenauslese (粒選り摘みワイン)
5. Trockenbeerenauslese (乾粒選りワイン)
それぞれの名前がぶどうの房や熟度を表していますから、なんとなく味や甘みの見当がつくでしょう。そのとおりです。だんだんとまろやかに、甘く口当たりがよくなっていきます。従って、食事の時に飲むのはテーブルワインの他にKabinettやせいぜい辛口のSpätleseが適していて、Ausleseはデザートワインといってよいでしょう。
 これらは基本的に色、澄み具合、香り、味で点数が付けられて、その点数によってそれぞれの等級、肩書きが決められるということです。値段は?-もちろん値段はうえのクラスになればそれだけ高価です。絶対量が少なくなるからです。因みにカビネット„Kabinett“ の名称(日本ではキャビネット)は1811年ラインガウ地方のEberbach 修道院でワインの名称に用いられた „Cabinetskeller“ ( Cで始まり t は一つ)が由来だそうです。つまり小さな小部屋の貯蔵室で特別に育てられた「箱入りワイン」といったところでしょうか。では、またしばらくしたらお話しましょう。
        
(ワインの品質検査の一こま。検査官は口に含むだけで飲まないものの、何十種というワインを検査したあとは、さすがに結構アルコールが身体に入っているとボクの連れに言っていたそうです。ボクの連れはあまりにワインが美味しかったので、捨てるのが惜しくなり飲んでしまったそうです。そこで、検査官の職業って,「わーいいんだわー」とつい叫びたくなったと言ってました。)


ドイツ国立ブドウ栽培研究所の熟成樽
(ドイツ/Weinsberg: Staatsweingut:上も同じ)

2007年4月21日土曜日

ドイツ公使講演会のお知らせ

4月4日の入学式にも来校され、祝辞を述べてくださったフィッシャー駐日ドイツ公使が、下記のとおり講演会をひらいてくださいます。ドイツ語学科1年生対象の授業「ドイツ語圏入門」の枠内での講演会ですが、他の学年のみなさん、そして、他学部・他学科のみなさんもぜひ聞きに来てください!

講演者:駐日ドイツ公使 Dr. Bernd Fischer
講演テーマ:Japan und Europa - Eine kooperative Partnerschaft
使用言語:ドイツ語(通訳つき)
日時:2007年5月9日(水曜日)、3時限(13:15~14:45)
場所:天野貞祐記念館大講堂

2007年4月20日金曜日

独検・2007春の願書受付が始まっています!

今年も、獨協大学がドイツ語技能検定試験(独検)の試験会場になります!詳しくは、下記の通りです。

受験級:3級と4級(併願も可能)
試験日:2007年6月24日(日曜日)
願書受付期間:4月1日(日)から5月18日(金曜日)まで(消印有効)
 *ただし、書店や生協での払い込みは5月17日(木曜日)まで
検定料:3級は6000円、4級は4000円

≪3級の試験概要≫
対象:ドイツ語の授業を約120時間受講した人。
基準:初級文法全般にわたる知識を前提に簡単な会話や文章が理解できる。商店、レストランなどにおける簡単な会話ができ、身のまわりのニュースが理解できる。短い文章を聞き、その内容に関する質問に答えられる。やや長めの文章の要点を読み取ることができる。
試験内容:筆記(約60分)、聞き取り・書き取り(約25分)

≪4級の試験概要≫
対象:ドイツ語の授業を約60時間受講した人。
基準:ドイツ語の初歩的な文法規則を理解し、日常生活に必要な基本単語が使える。簡単な自己紹介、道案内などの表現が使え、駅のアナウンス、時刻、行き先などが聞き取れる。
簡単な手紙、短い文章の趣旨が理解できる。必要に応じて、キーワードや重要な情報となる語句、数字を聞き取れる。
試験内容:筆記(約60分)、聞き取り・書き取り(約20分)
 *なお、試験概要等については、http://www.dokken.or.jpでも確認できます。

受験対策:ドイツ語学文学振興会編集の『独検過去問題集』(郁文堂)、その他各種の受験対策本が出ています。

2007年4月19日木曜日

Ich bin der Montag

Wir tanzten bis zum Ende zum Herzschlag der besten Musik ... (Fehlfarben)
Gehört. Wiedergehört. Deutschsprachiger Rock und Pop.
Heute: hellGa. Ich bin der Montag. (1999)

Song: "Ich bin der Montag"
Interpret: hellGa, CD „Alarm!“
Text: Hausdörfer
Musik: Hausdörfer, v. Mengden, Küpper
www.hellga.de
© hellga 99
(Der folgende Songtext wird mit freundlicher Genehmigung von Horst von hellGa hier veröffentlicht.)
Ein Song für alle Morgenmuffel, speziell zum Anfang des neuen Semesters und Arbeitsjahres!

Ich bin der Montag
(Weckerklingeln)
Alles, was ich will, ist 5 Minuten still
zu sitzen oder liegen, ohne Brechen, ohne Biegen.
Alles, was ich krieg` und hab`
ist Pickel, Krätze, Hautausschlag.
Samstag, Sonntag sind passé, Scheiden tut so weh.
Nur in meinem Traum bin ich allein, nur in meinem Traum ist Sonnenschein.
Kann denn nicht für immer Sonntag sein? Dieser Wecker ist ein Schwein, ein Schwein!
Ich bin der Montag ! (6 mal)
Raus aus den Federn, Kaffee ins Gesicht,
die Arbeitsallergie, die meldet sich,
7 Uhr Morgen, das ist hart, draußen ist der Montag am Start.
Alles, was ich will, ist 5 Minuten still
zu liegen oder sitzen, ohne Keuchen, ohne Schwitzen.
Nur noch 5 Minuten Schlaf, dann beginnt der Arbeitstag!
Wochenend` ade, die Zeit mit dir war schön!
Nur in meinem Traum bin ich allein, nur in meinem Traum ist Sonnenschein.
Kann denn nicht für immer Sonntag sein? Dieser Wecker ist ein Schwein, ein Schwein!
Ich bin der Montag! (6mal)
Nur in meinem Traum bin ich allein, nur in meinem Traum ist Sonnenschein.
Kann denn nicht für immer Sonntag sein? Dieser Wecker ist ein Schwein, ein Schwein!
Und für alle, die immer noch hoffen, dass der Wecker sich irrt, wird dann noch 12mal wiederholt:
Ich bin der Montag!
Ein paar Hilfen zum Text:
Ohne Brechen, ohne Biegen: es gibt den Ausdruck auf Biegen und Brechen, mit aller Gewalt, ohne Rücksicht auf negative Folgen; unten kommt dann ohne Keuchen, ohne Schwitzen, beides bedeutet ohne Anstrengung.
Pickel, Krätze, Hautausschlag sind unangenehme Erscheinungen auf der Haut, die wohl mit der später genannten Allergie gegen die Arbeit zusammenhängen.
Raus aus den Federn: aufstehen, raus aus dem Bett.
Nils, der Sänger auf der CD „Alarm!“, singt sehr deutlich, der Text müsste gut zu verstehen sein.
Richtig schön laut spielen, vielleicht schaffen es wenigstens die Nachbarn, aus dem Bett zu kommen!
Bis zum nächsten Mal! ISA

2007年4月15日日曜日

ランドセルって何語?

 毎朝7時半頃、家の前をま新しいランドセルをしょった新1年生の行列が学校に行く姿を大勢見かけます。小さな子供たちが自分の背中よりも大きな鞄を背負う姿を見ながら、ふとランドセルって何語だったけ?と疑問が湧いてきました。
 調べてみると、「ランドセル」とは、オランダ語の「ransel ― ランゼル」に由来しているのが分りました。ランゼルとは、軍隊で使われたリュックサックのことで、日本語では「背嚢(はいのう)」と言われます。現在の日本のランドセルは、明治20年伊藤博文が当時皇太子だった大正天皇に学習院入学の際にお祝いとしてプレゼントした学習用背負い鞄が原型とか。以後、全国のこどもたちの手に行き渡るようになったのが昭和30年代。長らく黒と赤色限定だったのが、今や黄色やオレンジ、青といった色も加わりカラフルになりました。ドイツのランドセルもオランダ語と同じ語源でRanzen(ランツェン)と呼ばれ、学校用ということで特にSchulranzen(シュールランツェン)と言います。
 日独いずれも「背嚢」を出発点としているランドセルですが、そのコンセプトと歴史はやはり違うのでした。

左がドイツのランドセル。右が日本のランドセル。


 まず、日本のランドセル。伊藤博文のオーダーに応えた職人さんの腕が素晴らしかったのでしょう。しっかりと形がきまったボディーについた蓋は一枚の長い皮。その皮を鞄の底に金具で止めると、美しい曲線を描きます。現在では、クラリーノ、豚、牛、馬革と素材に違いがありますが、形自体はこの職人さんの作品から基本的に変わらないようです。
 次にドイツのランドセル。立っている大きな四角の箱です。つい20年ほど前までは、日本の中学生が持つ学生鞄のような横長の革の背負い鞄が一般的でしたが、近年は、ビニール素材が革を押しのけ、ショッキングピンク、真紫、青緑、黄色にオレンジが入り乱れたギラギラした蛍光色のついた箱(代表的メーカーのScout Produkteを覗いてみましょう)になりました。このお世辞にも美しいといえない鞄が定番になったのには理由があります。ドイツは、秋から冬にかけての日照時間が非常に短く、子供たちは年の半分は、お月様がまだ真上に見えるような真っ暗闇の中、朝学校に通うことになります。真冬では、朝9時頃授業中に朝日が昇る。年中霧も発生し、ミストサウナのように粒子が細かい、霧状の雨も車の視界を妨げます。したがって通学時間帯に悪条件が揃うドイツでは、近年のランドセルは「まず車のライトを反射し、目立つこと」が第一条件。ランドセル作りが伝統的な革の鞄から、「子供の安全第一」というコンセプトに移り変わった結果が生み出した形と色だったのです。
 日本のランドセルは100年以上フォルムが変わらずに伝わっている世界で唯一の通学用鞄だそうです。ランドセル工業会は最近この鞄にわざわざ「学習院型ランドセル」という正式名称をつけ、「伝統の継承」を謳っています。もうこれだけ長い時間みんなに愛されてきたランドセルなのですから、今更こんな名前をつけなくてもいいだろうと思われますが、ドイツのように、用途に応じて様々なデザインや素材のものが台頭し、これまでの型
がいずれ消えてなくなるのを警戒してのことでしょうか。
 ランドセルの話題が集められたransel.netの中に、使い終えた日本のランドセルを6000台毎年アフガニスタンとモンゴルに寄付する活動についての報告がありました。6年間ほぼ毎日子供たちに酷使されてもへこたれない究極の日本製鞄 ― ランドセル。日本でのお役目を終えた後も、海を越えて他所の国の子供たちにご奉仕できるのであれば、とりあえずは100年形を崩さずにがんばってきた鞄も本望でしょう。
                                    A. A

2007年4月13日金曜日

入学式にてドイツ公使より祝辞!

 4月4日の入学式において,ドイツ連邦共和国大使館よりベルント・フィッシャー公使がおいでになり,祝辞を述べられました。
 祝辞では,入学を祝う言葉に続いて,新築なった天野貞祐記念館のドームがベルリンにある国会議事堂のドームをもとにしていることにふれて,獨協とドイツとの緊密な交流の象徴だと述べられました。
 また,新入生の祖父母の世代が,不幸な戦争と敗戦を乗り越えて新たな国の土台を作り上げたこと,公使も同世代である両親の世代がそれを発展させてさらなる発展の基礎を築いたこと,そして新入生の世代は,祖父母や両親の築いた礎石をふまえつつ,グローバル化の時代における新たな課題に向き合い,将来を作り出す使命を担っていることを強調なさいました。
 公使の祝辞は非常に格調が高く,新入生のみならず,臨席のご父母の方々や多くの方に感銘を与えました。
 通訳としてその場で聞き,かつ日本語に訳するのは緊張するものですが,同時に第一線で活躍なさっているトップランナーから多くのことを学ぶこともできる貴重な機会でもあります。通訳の醍醐味を体験できたひとときでした。
 なお,フィッシャー公使は5月9日にも来校なされ,現在のヨーロッパ連合の母体となったヨーロッパ経済共同体発足の「ローマ条約」50周年についてお話しになる予定です。「ドイツ語圏入門」の枠で行われ,1年生の皆さんは全員聞くことになりますが,他の学年の皆さんもぜひ聞きに来てください!(tya)

2007年4月8日日曜日

Zu Bachs Johannes-Passion

Denkt man an Johann Sebastian Bach, so kommen einem als erstes Gedanken an seine Zeit als Leipziger Thomaskantor in den Sinn, an seine Kantaten und Passionen. Erst bei weiteren Überlegungen bedenkt man auch, dass Bach auf ganz anderen Gebieten als der vokalen Kirchenmusik meisterhaftes komponiert hat: Klavier- und Orgelwerke als Vortrags- und Lehrwerke, Orchester- und Kammermusik, sei es für den fürstlichen Gebrauch in Weimar und Köthen, sei es für das studentische Collegium musicum in Leipzig.
Ausgeschlossen blieb in seinem Werkkanon von allen wichtigen in der Barockzeit vertretenen Gattungen die szenische Musik, insbesondere die Oper. Dies bedeutet aber nicht, dass Bachs Musik auch heute noch auf szenische Umsetzungen verzichten müsste. Nachdem Aufführungen der Bachschen Passionen nicht nur in der Kirche, sondern auch im Konzertsaal ermöglicht worden waren, war es nur noch ein kleiner Schritt, sie bei ihrer unüberhörbaren dramatischen Ausdruckskraft auch in theatralischen Formen darzubieten. Der erste Versuch mit der Matthäus-Passion des englischen Bühnenbildners, Schauspielers und Regisseurs Edwar Gordon Craig (1872-1966) konnte wegen Ausbruch des ersten Weltkrieges nicht verwirklicht werden. Doch schlossen sich Experimente von Ferrucio Busoni und Carl Orff an. Eine erste tänzerische Umsetzung der Matthäus-Passion gelang 1981 dem Choreographen John Neumeier (geb. 1942) an der Hamburger Staatsoper.
Desiderat bei allen szenischen Darbietungen ist es, die Grenzen des Pietätvollen in der konkreten Darstellung der Leidensgeschichte Jesu Christi einzuhalten. Dies gelang nun auch bei einer szenischen Aufführung der Johannes-Passion, die der Heinrich-Schütz-Chor aus Osaka in Tokyo zeigte. Gleich mit dem ersten Einsatz des in römischen Tuniken bekleideten und sich langsam auf der Bühne bewegenden Chores war der Bann, unter dem die gesamte Aufführung stand, geschaffen: „Herr, unser Herrscher“ – und die Choristen streckten Haupt und Arme in einer flehentlichen Geste gen Himmel, als wollten sie damit die Unfassbarkeit des Leidens Christi zum Ausdruck bringen.

K.B

J. S. Bach: Johannes-Passion in einer szenischen Auffürung des
Heinrich-Schütz-Chors Osaka. Auf der Bühne sind Jesus, Pilatus, der
Evangelist, Choristen und die Instrumentalisten, die Leitung hat Toma
Shuichi.

Ostern

Schon lange vor Ostern findet man in den Läden Ostereier und Osterhasen aus Schokolade.

Am Ostersonntag bekommen die kleinen (und auch die großen) Kinder diese als Ostergeschenk!
Hier eine kleine Auswahl, wie sie in einem deutschen Laden angeboten wird.

A.W.



Legen deutsche Hasen Eier?

Legen deutsche Hasen Eier? Am 8. und 9. April ist Ostern und zu diesem Fest gehören Ostereier und Osterhasen. Aber wie kommt es, dass alle deutschen Kinder glauben, der Osterhase bringe die vielen bunten Eier? Auch in Deutschland werden Eier von Hennen gelegt, trotzdem habe ich mir als Kind beim alljährlichen Ostereiersuchen niemals die Frage gestellt, wie der Hase zu den Eiern kommt. Zum ersten Mal darüber nachgedacht habe ich erst als Erwachsene bei einem Auslandsaufenthalt. In französischen Konditoreien wunderte ich mich über Hennen aus Schokolade, die so selbstverständlich neben den Schokoladeneiern standen.
Wer meint, es gäbe eine eindeutige Einklärung für diese deutsche Tradition, wird enttäuscht sein. Es gibt nur verschiedene Hypothesen über den Ursprung des Osterhasen, zwei davon finde ich besonders interessant:

Das Osterlamm ist durch Zufall zum Osterhasen geworden.
Manchmal wird behauptet, der Osterhase sei zufällig entstanden. Früher hat man zu Ostern Brot in Form eines Lamms gebacken, denn das Lamm gilt für Christen als Symbol für den sich opfernden Christus. Wenn aber der Bäcker ungeschickt ist und die Ohren zu lang werden, sieht das Lamm wie ein Hase aus...

Hase und Ei als Zeichen für Leben und Fruchtbarkeit
Das Osterfest geht eigentlich auf ein Frühlingsfest zurück. Vor langer Zeit feierte man nach dem Tod der Natur im Winter ihre Auferstehung im Frühling. Später machte die Kirche daraus das Fest zur Auferstehung Jesu. Das Ei galt schon immer in verschiedensten Kulturen als Zeichen für Leben und Fruchtbarkeit. Die Kirche hat das Ei als Symbol der Auferstehung übernommen und den Gläubigen verordnet, zu Ostern ein Ei zu essen. Irgendwann wurde das Ei zu Ostern als Geschenk für Kinder entdeckt und die Erwachsenen suchten nach einem passenden Tier, das die Eier überbringen sollte. Das war zum Beispiel der Fuchs, der Storch oder der Kuckuck. Erst im 19. Jahrhundert übernahm der Hase diese Rolle, vielleicht deshalb, weil auch er als Symbol der Fruchtbarkeit gilt und weil man ihn im Frühjahr überall auf Futtersuche herumlaufen sieht.

Ehrlich gesagt: Ist es nicht schöner zu glauben, die Ostereier kommen von niedlichen Hasen, die flink auf Wiesen und in Gärten herumlaufen, um sie für uns zu verstecken, als von gackernden Hühnern? Wer Deutsch lernt, weiβ auβerdem, dass „Huhn“ oder „Henne“ gern als Schimpfwörter gebraucht werden („dummes Huhn“ oder „blöde Henne“), „Häschen“ jedoch ein Kosewort ist.

AL

2007年4月5日木曜日

HP移行完了

HP移行が完了しました。
これからもドイツ語学科HPをよろしくお願いいたします。

2007年4月1日日曜日

綾瀬川河川敷の桜

 3月29日にテニス仲間10人が綾瀬川の土手に集まり4分咲きの桜の下で酒を酌み交わした。この日は実は私たちの花見の二度目の予定日で当初の予定は23日であった。気象庁による桜の開花予想では東京は確か18日だったのだ。
 地球温暖化の影響か、今年は暖冬であった。気象庁の開花予想を鵜呑みにして決定したわれわれの当初の花見予定日には桜はまだ固い蕾のままで、やむなく幹事は前日の夜になって29日に延期を通知した。参加予定者のひとりが前日の昼から花見のためにモツの煮込みを大量に作ってしまい、処分に困る事態となった。そんなわけで29日は待ちに待った花見で、「三日月の頃より待ちし 今宵かな」という月見の句の心境であった。
 3月の中ごろだったと思うが、某テレビ局の気象予報士が面白いことを言っていた。毎年会社の花見の場所取りは4月の新入社員の仕事になっていることが多いが、今年は3月中にお花見日和となり去年入社した社員がもう一度場所取りをやらなければならないだろう、と言うのだ。地球温暖化はこんなところにも影響を与えているのである。
 ところで桜の開花宣言は毎年各地の標本木の開花を担当官が目で確認して行われるが、東京の開花宣言の様子は海外のメディアでも報道された。ドイツのテレビ局の取材クルーも現場に来ており、逆に日本のテレビ局の取材を受けていた。桜の開花宣言の様子は上野公園の桜の下での宴と共に、この時期の日本を紹介する絶好のトピックスなのだろう。

Y.H.


2007年3月31日土曜日

Traditionelles österreichisches Handwerk - Buchstützen

Kennen Sie das? Sie haben nur eine Hand frei, wollen schnell ein Buch aus dem Regal ziehen, die ganze Bücherreihe beginnt zu rutschen, die Buecher kippen wie Dominosteine, schieben dabei die Vase vom Regal. Hunderte von schmalen Ordnern und losen Blättern, die trotz aller Mühe durchgebogen schlaff im Buecherregal hängen. Verzogene Buchrücken.
Es reicht, die Buecher sollen schön in einer Reihe stehen(bleiben). Es müssen Buchstützen her!
Ich google "Buchstützen". Mehr als 200 000 hits. Na also! Aber - möchte ich wirklich meine kostbaren Bücher zwischen Totenköpfe, Drachen, Mickeymäuse oder Matrosenfiguren klemmen? Dann doch lieber die mausgraue Allzweckbuchstütze aus Metall, die in unzähligen Büros zur deprimierenden Atmosphäre beiträgt? Nach 199 999 Klicks durch die websites finde ich sie. Die idealen Buchstützen: funktionell und dekorativ. In Wien. Bei der Firma Carl Auböck.
Seit mehr als 100 Jahren produziert diese Wiener Werkstätte Gebrauchsgegenstände für den Haushalt, mit gutem Design und perfekter handwerklicher Arbeit: Kerzenleuchter, Vasen, Korkenzieher (Flaschenöffner), Eierbecher, Nussknacker, Briefbeschwerer und eben auch Buchstützen.

Angefangen hat die Firma im 19. Jahrhundert allerdings mit der Herstellung von sogenannten Wiener Bronzen. Das sind Kleinplastiken (wie der Name sagt, aus Bronze), die vor allem zwischen 1880 und dem Ersten Weltkrieg als Ziergegenstände sehr beliebt waren. Es gab in Wien damals mehr als 80 Betriebe, die solche Bronzen herstellten! Die Motive sind äußerst vielfältig, es soll an die 10 000 Modelle geben. Besonders beliebt sind Tiere, die wie Menschen gekleidet sind und menschliche Tätigkeiten ausüben, zum Beispiel eine Katze als Lehrer oder ein Schweineorchester. Sehr lustig.
(Leider kann ich Ihnen kein Bild zeigen, das ich nicht aus dem Netz geklaut hätte, also müssen Sie selbst im Internet ein paar Bilder dazu suchen!)
Viele dieser Bronzen wurden im Krieg eingeschmolzen und sind für immer verloren. Doch Wiener Bronzen werden noch bzw. wieder produziert. Da sie handwerklich hergestellt und auch mit der Hand bemalt werden, sind sie allerdings teuer.

Doch zurück zu den Buchstützen. Mein Mann findet, dass ER keine Buchstützen braucht, also bestelle ich ein Paar für mich. Nach ein paar freundlichen e-mails kommen einige Wochen später meine wirklich schönen Buchstützen. Meine? Funktionell und dekorativ, findet mein Mann. Und seither stützen sie SEINE Bücher.
                      
ISA

2007年3月25日日曜日

クラウスの独り言 3

 もうだいぶ暖かくなって、午後の散歩のときはいつも着ているボクの暖かい毛皮も必要なくなってきました。とは言っても簡単に脱げないですけど。
 さて、ワインの話ですが、ドイツワインがフランスやイタリア、スペインなどの他のワインの産地と比べて上質でデリケートなものが多いと先日連れが言っていたのはすでにお話しました。この前、ボクを連れて散歩しながら話すのは、ドイツワインは摘み取りの時期と熟度で格付けがされているということでした。何だかその格付けによって、いろいろとあるというのです。その等級とは・・・
 Ⅰ.Tafelwein(ターフェルヴァイン) 一般のテーブルワイン
    これはさらに3段階に分かれますが、低品質で、生産される量は全体の5%あ    
   まりでしかないそうです。
 Ⅱ.Qualitätswein (クヴァリテーツヴァイン) 上質ワイン
    このうちの一つはQualitätswein bestimmter Anbaugebiete (特定栽培地の    
   上質ワイン)といわれ、ドイツで指定されている13の生産地域のワインで、一般
   にQualitätswein b.A. とかQ.b.A.(クー・ベー・アー)として、ワインのラベルに
   表示されています。この表示があるのは上質ワインですから、安心して、美味しく
   飲むことができるのだそうです。
  もう一つはQualitätswein mit Prädikat (クヴァリテーツヴァイン ミット プ
   レディカート)というドイツに独特の、いわゆる「肩書き」のついた上級品質ワイ
   ンです。これには5段階の肩書きがあり、これを知っていると本当にドイツワイン
   を楽しむことができ、ラベルを見るのが楽しみになるといいます。

 この「肩書き」の話は、またボクの連れと散歩したときに聞いてみなさんにお知らせします。楽しみにしていてください。クラウスの独り言でした。


(ボクがクラウスです)

(ライン川河畔の斜面に広がるブドウ畑)


(伝説のローレライの岩)

2007年3月19日月曜日

カメレ~!

 去る2月18日(日)、デュースブルク=エッセン大学(Universität Duisburg-Essen)の先生に誘われて、ケルン(Köln)近郊にあるブリュール(Brühl)という小さな町のカルネヴァル(Karneval)に出かけてきました。
 カルネヴァルというのは、英語のカーニヴァル(carnival>注1)に対応するドイツ語で、もちろん謝肉祭のことを表します。しかしこの謝肉祭、ドイツでは必ずしも全国的な現象というわけではありません。伝統的にその中心地は二つ。ひとつは、ケルン(Köln)、デュッセルドルフ(Düsseldorf)、マインツ(Mainz)に代表されるラインラント(Rheinland>注2)、もうひとつはミュンヒェン(München)などに代表されるドイツ南部。どちらもカトリック色の濃い地域です。祭りの呼び方も両者では異なり、ラインラントではカルネヴァル、ドイツ南部ではファッシング(Fasching)、ファストナハト(Fastnacht)という言い方をします。いずれにせよこのお祭り、ファステンツァイト(Fastenzeit=四旬節>注3)に入る前の1週間ほどの期間、だれもがさまざまな仮装をし、羽目を外して大騒ぎをすることになっています。中心日であるローゼンモンターク(Rosenmontag=バラの月曜日>注4)には、騒々しい音楽を奏でたパレードも繰り出します。
 さてブリュールのカルネヴァル、ケルン文化圏にあるこの小さな町では、ローゼンモンターク前日の日曜にパレードが行われるのですが(おそらく月曜には、人々がケルンに出かけてしまうので)、ケルンやデュッセルドルフといった大都市で開かれるお祭りと違い、こじんまりとしていて、その分とても親密で温かい雰囲気にあふれています。「ヘーラウ!(Helau!)」「アラーフ!(Alaaf!)」といったカルネヴァル特有のかけ声があちこちで聞こえる中、目玉のパレードでは、(参加企業や団体により)それぞれに工夫を凝らした飾り付けが施された自動車や馬車の行進が延々と続き、お菓子や日用品をばらまいていきます。やはり思い思いの仮装をし、買い物用布袋を片手に沿道で待ちかまえている人々がさかんに手を振りながら「カメレ〜!(Kamelle!)」と叫ぶので、とにかくまねをしてみました。隣のおじさんに意味を尋ねたところ、語源的にはどうやらカラメル(Karamell)と同じらしく、要するに「甘いもの=お菓子をおくれ〜!」ということのようです。ただし、このおじさんかなり酔っぱらっていたので、真偽の程は定かでありません。おじさんが酔っぱらっていたのは、ケルン特産のビール、ケルシュ(Kölsch>注5)のせい。もちろんぼくもご相伴にあずかりました。ついでながら、この場面で、デュッセルドルフ特産のビール、アルト・ビーア(Altbier>注6)を飲んでいたりするのは、ほとんどけんかを売っているようなものです。ケルンとデュッセルドルフはつねにライヴァル関係にあるからです。
 そのうち自然に歌がわき上がり、互いに腕を組み音楽に合わせて身体を左右に揺り動かすシュンケルン(schunkeln)が始まります。ぼくも見知らぬお隣さんとシュンケルンし、口まねして歌っているうちに、いつの間にか歌詞を覚え、気がついたら陽気な仲間の輪にしっかりとけ込んでいました。
 何度か授業で、ドイツに関して持っているイメージについてのアンケートをとったことがありますが、一番目立った答えは、たいてい「堅い」という形容詞でした。もちろんそのイメージが的を射ていると思うこともありますが、こうしてカルネヴァルに加わって一緒にシュンケルンしてみると、「陽気で明るいドイツ人」というまた別の一面を、肌で感じることができるような気がします。
 結局その日は、パレードの後、誘って下さった先生のお友だちの方々(地元の演劇・音楽関係者)と居酒屋へ繰り出し、帰宅したのは夜中過ぎ。ケルシュの飲み過ぎで翌日は、やや二日酔い気味でした。カルネヴァル参加者のことを「ナレン」(Narren=愚か者たち)と言いますが、まったくナレンことをするものではありません。でも、本当に楽しく印象的な一日でした。                         (At・Y)

注1 Karnevalにせよ、Carnivalにせよ、もともとはラテン語のcarne vale!「肉よ、さらば!」に由来する言葉です。
注2 ライン川中・下流地域
注3 灰の水曜日から復活祭前日までの、日曜を除く
40日の断食期間。もちろん今日では、断食する人はほとんどいません。(Fastenが「断食」です。ご存じのように、英語のbreakfastは「断食を終わりにする」というところから来ています。)
注4 一説には、Rasenmontag「狂騒の月曜日」がなまったものと言われています。
注5 ケルン周辺で飲まれる、淡い黄金色でアルコール分が少なめのビール。おいしい。
注6 とりわけデュッセルドルフ近辺で飲まれる黒ビール。これもおいしい。


パレートを待ちわびる子どもたち


カメレ〜!


カエルに扮した女の子

2007年3月18日日曜日

Keine Gute Frau

Wir tanzten bis zum Ende zum Herzschlag der besten Musik ... (Fehlfarben)
Hören. Wiederhören. Deutschsprachiger Rock und Pop.
Heute: Sender Freie Rakete. Keine gute Frau. (2005)

Song: "Keine Gute Frau"
Interpret: Sender Freie Rakete
Text: Emma Berit Ott
Musik: Emma Berit Ott, Stefan Machalitzky
http://www.senderfreierakete.com
© 2005 Silverspoon Records
(Der folgende Songtext wird mit freundlicher Genehmigung von Herrn Stefan Machalitzky hier veröffentlicht.)

Ich bin keine gute Frau im herkömmlichen Sinne,
doch ich versuch', eine zu sein.
Meine voll emanzipierte Mutter denkt, ich spinne,
weil sie merkt, ich will anders als sie sein.
Von Politik versteh' ich nichts, ist mir auch scheissegal,
Ich back lieber Kuchen und mein Mann baut ein Regal.
Ich mach Preisvergleich im Supermarkt und kauf dann ganz viel ein.
Ich weiss nicht, was ich kochen soll, meinem Mann fällt schon was ein.
Ich bin keine gute Frau im herkömmlichen Sinne, doch ich versuch, eine zu sein.
Meine voll emanzipierte Mutter denkt, ich spinne,
weil sie merkt, ich will anders als sie sein.
Ich schmier' mir ganz viel Schminke in mein geschocktes Gesicht,
Bei all den bunten Farben sieht man das darunter nicht.
Rasier' mich im Intimbereich, egal wie es nachher juckt,
Wie 12 soll ich da aussehen, wenn mein Mann mal nach mir guckt.
Manchmal hab ich Migräne und mein Kopf tut so doll weh,
Die Hormone sind dann schuld daran, weshalb ich mich nicht versteh'.
Ich bin keine gute Frau im herkömmlichen Sinne, doch ich versuch, eine zu sein.
Meine voll emanzipierte Mutter denkt, ich spinne,
weil sie merkt, ich will anders als sie sein.
Ich schau euch gern beim Leben zu, ich find euch alle nett,
Ich back euch einen Kuchen und wir werden alle fett.
Ich schau euch gern beim Leben zu, ich find euch alle nett,
Doch mein Kopfweh ist heut viel zu doll, ich glaub ich muss ins Bett.


(wöööääähhhhh)

Das Geräusch, das die Sängerin am Ende macht, kann ich nicht wiedergeben, das müssen Sie selbst anhören. Am besten, Sie sehen sich das Video „making of Keine gute Frau“ auf der homepage von Sender Freie Rakete an. Hilft auch dabei, die Mehrdeutigkeit und Ironie des Texts besser zu verstehen. Vorsicht: Die Sängerin betont manche Wörter etwas ungewohnt, zum Beispiel auf der Vorsilbe, um sie der Melodie und dem Rhythmus anzupassen.
Interessant finde ich, ob emanzipiert oder nicht, dass sich Frauen immer die Frage nach ihrer Rolle stellen (müssen). Gibt es einen Liedtext wie
„Ich bin kein guter Mann im herkömmlichen Sinne, doch ich versuch`, einer zu sein.
Mein (ja, was???) Vater denkt, ich spinne, weil er merkt, ich will anders als er sein.“?

Die CD „Keine gute Frau“, die erste von Sender Freie Rakete, besteht nur aus 6 Liedern. Alle Liedtexte sind interessant und relativ leicht zu verstehen. Unbedingt anhören!
Bis zum nächsten Mal!

ISA

2007年3月15日木曜日

矢羽々 崇 著「歓喜に寄せて」の物語 が出版されました

 矢羽々 崇 先生 著「歓喜に寄せて」の物語 シラーとベートーヴェンの『第九』が、現代書館から出版されました。

■「歓喜に寄せて」の物語 シラーとベートーヴェンの『第九』
■著者: 矢羽々崇
■出版社: 現代書館
■サイズ: 単行本
■ページ数: 387p
■発行年月: 2007年03月
■JAN/ISBNコード:4768469442

【内容情報】
 時代はなぜこの曲を求め続けるのか。また、なぜその評価がはっきりと二分されるのか。ひとり歩きをはじめた詩と曲の運命を明らかにし、芸術作品によってわたしたちは何を想起し、何を忘れてきたのかを問う。

【目次】
第1章 シラー「歓喜に寄せて」(シラーとその時代/「歓喜に寄せて」を読む ほか)/第2章 ベートーヴェン『第九』(『第九』成立まで/ベートーヴェンの『第九』成立—歌曲から交響曲へ ほか)/第3章 シラーとベートーヴェンの受容の歴史(「宗教」としてのシラー、ベートーヴェン/戦争の世紀に— 「戦士」シラー、ベートーヴェン ほか)/第4章 「歓喜に寄せて」の今(ベートーヴェンと『第九』の今/日本の『第九』 ほか)

【著者情報】
矢羽々崇(ヤハバ タカシ)
1962年、盛岡市生まれ。1987年、上智大学文学部ドイツ文学科卒業。1989年、ミュンヘンLMU大学哲学部にてMagister Artium取得(主専攻:近現代ドイツ文学、副専攻:哲学、日本学)。1994年、上智大学大学院文学研究科ドイツ文学専攻にて博士(文学)取得。1994年、獨協大学外国語学部ドイツ語学科専任講師。2000年、同助教授

興味のある方は書店、またはamazon楽天市場ライブドアブックスにて購入することが出来ます。

2007年3月14日水曜日

仕事と子育ての両立めざすドイツの取り組み

 日本と同様、ドイツでも少子化が大きな社会問題となっています。その背景の一つに、子どもをもつ女性にとって働きやすい環境が整っていないという問題があります。最近(2007年2月)、ドイツ家族担当大臣が、保育施設を今の3倍に拡充するという計画を提案しました。しかしこの提案には、支持する声が多い一方で批判的な声もあがっています。こうした議論からドイツ社会の一つの特徴が見えてくるようです。

 今回の提案は、3歳未満を対象とする育児施設の受入数を現在の25万人から75万人へ3倍化することを主な内容としています。提案を行ったのは、家族・高齢者・女性・青年担当省の大臣ウルズラ・フォン・デア・ライエン女史(Ursula von der Leyen)です。この女性大臣は、博士号を持ち7人の子どもを育てながら政治家としてのキャリアを積んできた人で、以前はニーダーザクセン州という地方政府の社会問題大臣を務めていました。こうした経歴が注目され、2006年秋にメルケル内閣発足時に、家族・高齢者・女性・青年担当省の大臣に抜擢されました。
(同省ドイツ語HPの大臣紹介  http://www.bmfsfj.de/Kategorien/Ministerium/ministerin-persoenlich.html )

 今回の提案に対しては、歓迎の声がある一方、否定的な声も聞かれます。実は、ドイツはヨーロッパのなかでも男女の伝統的役割分業の意識が強い国の一つです。男性は外で働き、家事と育児は女性が担当するという価値観です。特に3歳未満の乳幼児は母親がつきっきりで面倒を見ることが理想とされており、3歳未満を受け入れる保育所は未整備のままです。たとえば西ドイツ地域では乳幼児数の17%の収容力しかありません(ただし東ドイツ地域は、旧東ドイツ国家のなごりから80%程度と高い)。その代わり、児童手当は充実しています。児童手当は、子ども一人当たり毎月154ユーロ(約22,000円)が18歳になるまで支給されます。国は、専業主婦として子どもを育てることにはお金を出して援助するのですが、働く女性が育児をしやすいような環境整備はほとんど行ってきませんでした。女性が働く条件は、子どもが学校に行くようになってからも続きます。例えば、学校は半日制が基本ですので、女性はお昼ご飯を準備しなければなりません。ドイツ語には、「キャリア女」 (Karriereweiber)とか、「カラスの母親」(Rabenmutter)という言葉があります。後者は、母親カラスがヒナの面倒をみないという迷信から来ているそうです。
 伝統的家族観と伝統的な男女役割分業という価値観は、キリスト教民主同盟・社会同盟(CDU/CSU)という政党に強く見て取れます。興味深いことに、今回の提案を出した女性大臣はキリスト教民主同盟(CDU)所属です。そのため、野党を含む他の政党から支持の声が聞かれながら、自分の陣営から否定的声が聞かれます。「これは育児を放棄することにつながる」「3歳児未満の育児は母親が必要だ」「専業主婦として育児に携わってきた人たちが差別され不利益を被る」といった声が聞かれます。
 しかしこうした否定的な意見は多数を占めることはないでしょう。少子化に歯止めをかけることが、経済と社会の健全な発展のために必要だという認識が高まってきていますし、高い専門能力をもつ女性の力が活かされないことは社会にとっての損失だという認識も強まってきたからです。全体として、原則的問題としては育児施設拡充という方向で進んでいきそうです。ただ実際に実現するかどうかは別です。今後、財源問題が焦点になってきます。財源をどこから持ってくるか、足りない時の増税をどうするかなどが問題になるでしょう。
 日本もドイツと同様に伝統的な男女役割分業が強く、これが女性の就業を妨げ、少子化の進行と密接につながっていると見られています。ドイツの取り組みを注目していきたいと思います。

(K.O.)

2007年3月10日土曜日

Steirisches Wurzelfleisch

Ein Blick auf die Waage zeigt mir, es ist höchste Zeit, mein Gewicht zu reduzieren!
Also: leicht und gesund kochen, zum Beispiel Steirisches Wurzelfleisch. Machen Sie mit?

Falls Sie jetzt im Wörterbuch "steirisch" suchen, Adjektiv zu Steiermark, Stichwort Österreichisches Bundesland, Südosten. Vielleicht geht es mit einem Bild schneller:

Die Steiermark wird wegen der ausgedehnten Landwirtschaft als Grünes Herz und Feinkostladen Österreichs bezeichnet. Leider kann man die meisten steirischen Spezialitäten nur vor Ort genießen. Steirisches Wurzelfleisch allerdings kann man in Japan leicht nachkochen. Alle Zutaten finden Sie in jedem Supermarkt.
Also an die Arbeit!

Wir brauchen für 4 Personen:
ca. 600g Schweinefleisch (als Block) 2 Esslöffel gehackte Petersilie
2 Karotten (Möhren) 2 Lorbeerblätter
1 Stange Lauch 1 Esslöffel (Kräuter)Essig
1 Stange Sellerie Salz, Pfeffer
2 Esslöffel Kren (Meerrettich bzw. wasabi)

Karotten schälen, Karotten und Sellerie in Stifte schneiden. Lauch gut waschen, in Ringe schneiden.
In einem geräumigen Topf so viel Wasser zum Kochen bringen, dass das Schweinefleisch mit Wasser bedeckt ist. Essig und Lorbeerblätter dazugeben und bei kleiner Hitze 90 Minuten köcheln (d.h. sanft kochen oder ziehen) lassen.
Dann das vorbereitete Gemüse dazugeben und den Sud (die Suppe) leicht salzen. Wenn das Gemüse gar ist, Fleisch in Scheiben schneiden, darüber das Gemüse und den Kochsud verteilen. Mit Petersilie und geriebenem Kren bestreuen. Nach Geschmack pfeffern.
Kren (Meerrettich) findet man in Japan meist nicht frisch. Statt dessen kann man wasabi verwenden, dadurch wird das Gericht nicht nur interessanter, sondern durch die grüne Farbe sogar noch schöner.
Wenn Ihnen die Kalorien doch nicht ganz reichen, empfehle ich Ihnen dazu gekochte Erdäpfel (Kartoffeln) oder ein kräftiges Brot.
Zum Steirischen Wurzelfleisch passt ausgezeichnet ein gutes Glas Wein, zum Beispiel ein Zweigelt. Zweigelt ist allerdings ein neues Thema. Darüber ein anderes Mal. Schauen Sie wieder bei unseren blogs vorbei!

Inzwischen: Mahlzeit! Was natürlich soviel bedeutet wie Guten Appetit!


ISA

2007年3月8日木曜日

もしもゲーテがカメラを持っていたら?

 私の専門は18~19世紀のドイツ文学です。この時代の文学について語るとき、避けて通ることができないのがゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe: 1749-1832年)です。彼は作家としても偉大でしたが、政治家としても有能で、自然科学に対しても旺盛な興味を示し、また、絵心なども合わせ持つマルチ・タレントでした。
 そのゲーテの名を一躍有名にしたのが、小説『若きヴェルターの悩み』でした。法律家として自立するための研修で訪れた町ヴェッツラーでの、ゲーテ自身の体験をもとに書かれたこの小説は、たちどころに当時の若者たちの心をとらえ、またたく間にヴェルター・ブームが起こりました。ただ、内容的には、叶わぬ恋に絶望し身分制社会に失望した若者が自殺をするというもので、若者に悪影響を与える本として、例えばライプツィヒという町(ゲーテが学生時代を過ごした町ですが)では発禁処分になりました。
 ゲーテの特徴をひとことで言い表すと、「目の人」(Augenmensch)です。とくに、彼とともにドイツ文学の黄金時代を担ったシラーという作家との対比で、このように言われることが多いです。ゲーテは非常に自然に近い人で、なんでも直感的に体感できたようで、例えば、植物の原型「原植物」(Urpflanze)なども「見えた」そうです。
 さて、フランクフルト近郊の小都市ヴェッツラーは、ゲーテを抜きにしても世界的に有名です。ある特定の趣味を持っている人にとっては、まさに聖地と言えるでしょう。それが、Leica「ライカ」です。カメラの代名詞とも言えるライカを生んだエルンスト・ライツ社が、この町にあったのです。最初の試作品「ウア・ライカ」(Urleica)が誕生したのは1913年。ただし、第一次世界大戦勃発のため、実際に販売が始まったのは1925年からです。このいわゆるバルナック型ライカに、その後いろいろと改良が加えられて、1954年に究極のレンジ・ファインダーカメラ、M型ライカ(M3)が完成します(M3については、T.K.さんのブログに写真が載っています)。
 これはカメラ業界にとっては歴史的な事件でした。特に、「ライカに追いつけ・追い越せ」をスローガンに発展してきた日本のカメラ・メーカーは、M3の完成度の高さに圧倒され、レンジ・ファインダーカメラから一眼レフ中心の路線へと、軌道修正を迫られることになったわけです。
ゲーテ没後80年経って、ゲーテゆかりの地ヴェッツラーで生まれたライカ。「目の人」と言われ、色彩論なども著していたゲーテが、もしこのライカを手にしていたら!彼の世界観はどのように変わっていたか?また逆に、ライカや写真のその後の発展に、ゲーテはどんな影響を与えることができただろうか?たまにこんなことを考えて、1人でウキウキしています。

S.W.

2007年3月7日水曜日

「入門を終えたら 読める 聞ける ドイツがわかる!」が出版されました

NHK出版から、ドイツ語学科教師陣、山本淳 、アンゲリカ・ヴェルナー、トーマス・マイアー 著による、CDブック NHKラジオドイツ語講座「 入門を終えたら 読める 聞ける ドイツがわかる!」が出版されました。

■著者
山本淳 著
アンゲリカ・ヴェルナー 著
トーマス・マイアー 著
■発売年月日  2007年2月17日
■価格   2,520円 (本体2,400円)
■判型   A5判
■ページ数 192ページ CD1枚
■商品コード 0039448
■Cコード C0884(ドイツ語)
■ISBN   978-4-14-039448-9

【 内容説明 】
 旅行雑誌の編集部を舞台に、軽妙な会話で楽しくドイツ語能力をステップアップ。豊富な練習量で「聞く力」「読む力」をしっかり磨き、中級レベルの文法をひととおりマスター。ドイツの地誌にも詳しくなれる一冊。
【著者紹介】〈山本淳〉岐阜県生まれ。独協大学外国語学部ドイツ語学科助教授。専門は20世紀前半のドイツ文学・文化。〈アンゲリカ・ヴェルナー〉ドイツ出身。独協大学外国語学部ドイツ語学科助教授。専門は言語学など。

興味のある方は全国書店にて、またはNHK出版オンライン丸善ネットショップなどで購入できます。

2007年3月4日日曜日

花粉症の季節になりました

 今年は暖冬だったせいか、2月から花粉症の症状がひどくなりました。私は、学生時代からスギ花粉症がひどく、夜も眠れないくらいでしたが、ドイツに3年半留学していた間は、まったく症状が出ませんでした。でも、ドイツには花粉症がないのかといえば、そうではありません。ドイツの人口は約8200万人ですが、そのうち3000万人が何らかのアレルギーをもつとも言われ、Pollenallergie(花粉アレルギー)という言葉もよく耳にしますし、春になるとニュースでもPollenflug(花粉飛散)の情報を伝えています。ただ、ドイツにスギの木は少なく、ドイツで問題になっているのは、シラカバ花粉が中心のようです。(そのほかに、ヘーゼルナッツや芝生のところのイネ科植物なども。)花粉の種類が違うので、私の場合、ドイツでは発症しなかったのですね。田舎より都市部で花粉症患者が多いのも日本と同じで、これは大気中の汚染物質(排気ガスなど)と結びついて症状を引き起こしているためでしょう。
 この時期、日本ではマスクをする人が異常に増えますが、ドイツでは花粉症対策でのマスクは、あまり見かけなかったように思います。ましてや、花粉を防ぐサングラス(?)は…。そして、ドイツでは、携帯用ティッシュペーパー Taschentücher は、厚手の紙ナプキンをたたんだようなものが主流です。丈夫でよいのですが、皮膚のやわらかい人にはちょっとつらいかも知れません。箱入りであれば、ドラッグストアなどでKosmetiktücherという名称で、日本のティッシュペーパーに近いものが手に入りました。ドイツでは、花粉症対策、あるいはアレルギー対策用のハーブティーなども売られています。ペパーミントティー Pfefferminztee なども効くという人がいました。いずれにせよ、水分を充分にとって、代謝をよくするのがいいみたいですね。
 実は私の場合、ドイツ滞在中に花粉症の症状が出なかっただけではなくて、帰国後も5年くらいは春になってもまったく平気だったのです。免疫ができたのだわと喜んでいたのですが、一昨年の大量飛散で再発し…。花粉症の症状がひどくなると、あぁまたドイツにしばらく暮らしたいなぁなどと思ってしまいます。
S.K.

2007年2月28日水曜日

ピアノ自慢

昨年の12月、自分のために、がんばってピアノを買いました。
オーストリア、ウィーンに1910年に誕生したピアノーメーカー、Wendl&Lung社のアップライト。

 88鍵
 ウォールナット艶出し仕上げ
 ドイツ レスローワイヤー
 独フェルトハンマー

 木目もきれいな一枚板で仕上げられた、美しい猫足の、新品のアップライト。高さは115cm、幅は58cm。色は茶色。
 こう書くと、何やらとても高級感の漂うオーストリア製ピアノという感じがしますが、実はこのピアノ、地元の中古ピアノ販売店の激安チラシにのっていた目玉商品で、どういうわけか某国産の中古ピアノの上級モデルよりもずいぶん値段が安かった!!!

 ドイツのピアノというと、Boesendorfer, Bechstein, Steinwayに代表される名器が思い出されますが、Wendl&Lungはこれまで聞いたことがありませんでした。早速調べてみると、ウィーンに1910年に作られた、現在4代目Peter Veletzky氏が率いる老舗。彼の祖母は、19世紀にあって、女性としてオーストリアで二人目にピアノ製造のマイスターの資格を取ったStefanie Veletzky。2005年にはデンマーク王室にグランドピアノを献上。きれいなウィーンの店舗Klaviergallerie Wendl&Lungでは、展示されているピアノを使って小さなコンサートも開けるそうです。興味深いのは、Veletzky氏率いる24人のスタッフの国籍が様々なこと。日本人、韓国人、中国人の三人の美女と、それぞれ平均六カ国語を話す感じのよさそうな東欧出身者にオーストリア人。東欧とヨーロッパの境に位置するウィーンならでの、国際的な顔ぶれです。ピアノ運び専門職人の筋骨隆隆なおじさん三人だけ、使用言語:「ウィーン語」とあります。先見の明があるこの四代目社長は、1999年自ら中国に乗り込み、中国に工場を設立し、「euroasiatisch」なピアノを生産中。高品質でリーズナブルなピアノを積極的に販売中で、販売店をサイトで探すと、さながら仮想世界旅行が楽しめます。ドイツ、オランダ、北欧、東欧、イギリス、中国、韓国等で扱われていて、ヨーロッパでは、アップライトが平均2000ユーロ以上で取引されているので、円に換算すると日本では高めの価格設定といえるでしょう。明らかにこれはご当地ヨーロッパでもピアノ販売業界に価格破壊を起こしていると思われます。
 今月の22日付の新聞で、国内最大ピアノ大手メーカーが、少子化で販売台数を減らし、更に世界的な競争を生き残るために、上級モデルを「産地」品として売りに出たという記事がありました。シャープの最新鋭液晶テレビ「亀山」モデルに続いて、工業製品に産地名をつけることで、他との差別化を図るのだそうです。この記事からも改めて分るように、まさに日本のピアノ作りのコンセプトは、木の箱に入った工業製品なのですね。性能という点では、日本車と同様、世界トップクラスです。ピアノは「工業製品」なので、中の部品には確かに耐久性、性能に大きな差があります。しかし、素人が演奏を楽しむには、合板の箱に入った優秀な工業製品よりも、しっかりした一枚板でできている楽器の方が「響き」を楽しめる気がします。国産ピアノのアップライトは、住環境にあわせてグランドピアノを代用させるという目的があるため、音を大きく、華やかにするために、背中の響板の面積が大きい、つまり背の高いものほど上級モデルとなります。必然的に木を沢山使わなければならない。しかも、世界最高級ピアノのBoesendorfer社の生産台数と比べると100倍近いので、一枚板を使用したらコストが高騰して、安く高品質の「made in Japan」が崩れてしまうのでしょう。でもドイツ従来のアップライトピアノは、(御三家はそれぞれ全く違うコンセプトで製造されている)、一般的にもともと背が低いのがスタンダードであり、そのかわり、外の木のボディーがしっかりしていて、響板だけではなく、ピアノ全体に音が反響するので、国産よりも柔らかい音がします。
Wendl&Lungのアップライトも、従来のヨーロッパ型をきちんと踏襲しており、この価格帯のピアノとしては小型でも明るく温かい音色がして、嫌がる娘たちを道連れにしたアンサンブルを楽しむには十分です。
 それにしても、どこの国のピアノ販売のサイトを覗いても、ピアノのためにある一定の「気品」が演出されているのに、日本ではピアノは激安チラシに「産地特売品」・・・もうほとんどマグロの叩き売り状態。それだけ身近に取引きされているということでしょうか。

A.A