2007年10月29日月曜日

木村佐千子ゼミ(テーマ:ドイツ語圏の音楽史)

今年度の木村ゼミでは、バロック音楽、古典派音楽が主なテーマです。
春学期には『西洋音楽史 バロック』という文献を基に、バロック期の音楽の楽器、作曲家、演奏方法などを詳しく調べ、秋学期は、古典派音楽の3巨匠であるハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの曲を個人で深く考察し発表しました。(しております。)


発表では曲を聴きながら、楽譜を見て曲の特徴をつかんだり、DVDを利用して耳だけでなく目からも音楽の雰囲気を感じ取ったりというような方法をとっております。
発表後には様々な質問や意見が飛び交い、全員が意見を言うといったスタイルなので同じ曲でも感じ方、考え方は十人十色です。
毎回笑いが絶えず、とても仲が良いゼミです。笑いが絶えないと言いましても、話を聞くときは聞く、音楽を聴くときは聴く、言うときは言う、笑うときは笑う、と切り替えを巧みに行っているというのがこのゼミの素晴らしい点とも言えます。
このゼミは個人を尊重したゼミなのでゼミを指揮するのは全てゼミ生で、先生は皆のサポート役といった存在です。
最後に先生の紹介を、先生の名前を使いあいうえお作文で行ってみたいと思います。
「き」 綺麗な黒髪ストレート
「む」 息子も可愛いく
「ら」 ラブリーな笑顔
「さ」 颯爽と風を切りながら自転車をこぎ
「ち」 ちょっと物静かだけど秘めているものは無限大
「こ」 こんな素敵な先生のゼミは世界に一つ!!

(2007年度ゼミ生合作)
         

2007年10月24日水曜日

2007年独協インターナショナル・フォーラム

2007 獨協インターナショナル・フォーラム   (2007年12月8日・9日)
獨協大学中央棟3F大会議室

日本とドイツにおける移民・難民・外国人労働者とその受入れ

 グローバル化がすすむ現代世界においては、モノの移動とともに人の移動は国家の枠を越えてますます広がっている。一方、国家による移動の統制のあり方もますます複雑化しつつある。


 人の移動は歴史上さまざまな要因により幅広くおこなわれてきた。19世紀の国民国家の成立以降、国家は国境を越えるそうした人々の移動をさまざまな形で統制してきた。人の移動は、個人や集団の経済的必要性、国家の政策・軍事、社会のありようから生じる。同時に人の移動は、社会や国家のあり方そのものに影響をあたえ、人々の意識や文化に変化をもたらしてきた。

 本フォーラムの基本目的は、近代以降の日本とドイツにおける人の移動の歴史を比較し、両国の統合ないし排除の政策を吟味することである。さらに流入する人々を受け入れる国家や地域の人々の意識や文化の問題を検討することである。日本とドイツはこの1世紀半、人の流入の歴史においては似たような経験を経てきたが、現代における人の受入れという点においてはかなり異なる立場をとっている。

 日本における流入民の問題は明治の時代から存在していたが、それが大きな問題となったのは、アジア・太平洋戦争の時代である。戦争で不足する労働力を中国や朝鮮から強制的に調達したからである。それは戦後も「在日コリアン」の問題として今日にいたるまで影響をおよぼしている。移民労働者の長い歴史を持つドイツでは、第二次世界大戦時に大規模な外国人ないし「ユダヤ人」の強制労働という経験を持つが、その解決のあり方は日本とは異なっている。
 第二次世界大戦後、日本とドイツは経済復興にともなう外国人労働者および移民の導入において異なる対応をとった。日本が閉鎖的政策をとったのに対して、ドイツは積極的に外国人労働者を受け入れた。その背景には、ドイツにおける被追放者の問題や東西分断という歴史的要因があるだろう。だが、その後もドイツに留まった外国人労働者(「ガストアルバイター」)の問題は、日本の移民労働者政策に少なからず影響を与え、「在日コリアン」の問題との比較の可能性を提供している。

 「壁の崩壊」やEUの成立は、1990年代以降、ドイツにおける流入民の問題に新たな展開をもたらした。旧ユーゴスラウ゛ィア難民の受け入れや東欧・ロシアからの経済難民や「帰還民(アウスジードラー)」の問題は、日本におけるベトナム難民の受け入れやブラジルなどからの「日系人」労働者の問題とどう重なり異なるのか。

 こうした多様な移民の歴史と政策は、両国の人々の意識にどのような影響を与えているか、このフォーラムであきらかにしていきたい。


日本とドイツにおける移民・難民・外国人労働者とその受入れ

フォーラムの構成
〈第一日〉 12月8日 13:00〜17:00

開会挨拶              
獨協大学学長 梶山 皓
獨協大学国際交流センター長 ハンス H. ゲートケ

基調報告
「日本とドイツにおける移民・難民・外国人労働者とその受入れ―比較のあり方」
増谷英樹(獨協大学)

[第一セッション]歴史的経験とその継承
司会: 黒田多美子・増谷英樹

「戦後ドイツにおける移民・流入民とその受入れ」                
ディートリッヒ・トレーンハルト(ミュンスター大学)

「在日朝鮮人の歴史的形成・展開と日本の社会意識-大阪の場から考える」
 杉原 達(大阪大学)
 コメントおよび討論

〈第二日〉12月9日 10:00〜17:00

[第二セッション]国家の政策と社会的受容 
司会: 増谷英樹・大重光太郎

「ブランデンブルク州における移住と統合政策」 
カーリン・ヴァイス (ブランデンブルク州政府移民統合省)

「在日(日系)ブラジル人の現在の動向と意識」  
アンジェロ・イシ (武蔵大学)

 「草加市の外国籍市民施策について」       
青柳伊佐雄(草加市総合政策部人権共生課)

 「『草加市国際相談コーナー』運営活動を通して見えたこと」
簗瀬裕美子(草加市国際相談センター)
 
コメントおよび討論
 
〈昼休み〉 12:30〜14:00

[第三セッション]移民の受容と国民意識の問題 
司会: 増谷英樹・古田善文

「教科書のなかの移民・難民・外国人労働者―問題提起として」
黒田多美子(獨協大学)

 「多文化共生社会における『国Kuni』と言葉」   
岡村圭子 (獨協大学)

 「パネル・ディスカッション」
ディートリッヒ・トレーンハルト、杉原 達、
カーリン・ヴァイス、アンジェロ・イシ、
青柳伊佐雄、簗瀬裕美子、黒田多美子、岡村圭子 

結語                
国際フォーラム委員長  黒田多美子
閉会の挨拶             
獨協大学ドイツ語学科長 渡部重美 



報告者リスト(報告順)

増谷 英樹 (獨協大学特任教授)
ディートリッヒト・レーンハルト (ミュンスター大学教授)
杉原 達  (大阪大学教授)
カーリン・ヴァイス (ブランデンブルク州政府移民統合省オンブズマン)
アンジェロ・イシ  (武蔵大学准教授)
青柳 伊佐雄(草加市総合政策部人権共生課課長)
簗瀬 裕美子(草加市国際相談コーナー事務局)
黒田 多美子(獨協大学教授)
岡村 圭子 (獨協大学専任講師)

20. INTERNATIONALES FORUM DER DOKKYO UNIVERSITÄT

Migration und Integration von Ausländern in Japan und Deutschland

Programm des Forums

1.Tag 8.Dezember 2007 13.00 – 17.00 Uhr

Begrüßung zur Eröffnung des Forums
Rektor der Dokkyo-Universität, Ko Kajiyama
Leiter des Internationalen Zentrums, Hans H. Gaethke

Leitvortrag
Migranten und ausländische Arbeitnehmer und deren Aufnahme in Japan und Deutschland – Methoden des Vergleichs
Hideki Masutani (Dokkyo Universität)

1. Sektion: Historische Erfahrungen
(Sitzungsleitung: Tamiko Kuroda, Hideki Masutani)

Korporatistische Integration, Asylkrise und staatliche Integrationspolitik. Deutschland seit 1955
Dietrich Thränhardt (Universität Münster)

Historische Formung und Entwicklung der in Japan ansässigen Koreaner sowie das gesellschaftliche Bewusstsein Japans – am Beispiel Osakas
Toru Sugihara (Universität Osaka)

Anmerkungen und Diskussion





2.Tag 9. Dezember 2007 10.00 – 17.00 Uhr

2.Sektion: Staatliche Maßnahmen und gesellschaftliche Akzeptanz
(Sitzungsleitung:Hideki Masutani, Kotaro Oshige)

Zuwanderung und Integrationsmaßnahmen in Brandenburg
Karin Weiss (Integrationsbeauftragte des Landes Brandenburg)

Die gegenwärtige Situation und das Bewusstsein der in Japan ansässigen( japanischstämmigen) Brasilianer
Angelo Ishi (Musashi Universität)

Über politische Maßnahmen der Stadt Soka für Bürger mit nicht-japanischer Staatsangehörigkeit
Isao Aoyagi (Abteilung für Menschenrechte der Stadt Soka)

Tätigkeitsbericht der “Interkulturellen Informationsstelle der Stadt Soka”
Yumiko Yanase (Interkulturelle Informationsstelle der Stadt Soka)

Anmerkungen und Diskussion

(Mittagspause) 12.30 – 14.00 Uhr


3. Sektion: Akzeptanz der Migranten und das Problem des nationalen Bewusstseins
(Sitzungsleitung:Hideki Masutani, Yoshifumi Furuta)

Migranten, Flüchtlinge und ausländische Arbeitnehmer in japanischen und deutschen Schulbüchern
Tamiko Kuroda (Dokkyo Universität)

“Kuni” und Sprache in der multikulturellen Gesellschaft
Keiko Okamura (Dokkyo Universität)

Podiumsdiskussion
Dietrich Thränhardt, Toru Sugihara, Karin Weiss, Angelo Ishi,
Isao Aoyagi, Yumiko Yanase, Tamiko Kuroda, Keiko Okamura

Schlusskommentar
Leiterin des Internationalen Forums, Tamiko Kuroda
Schlussansprache
Leiter der deutschen Abteilung, Shigemi Watanabe



Vortragende (Vortragsreihenfolge)

Prof. Hideki Masutani (Dokkyo-Universität)
Prof. Dr. Dietrich Thränhardt (Universität Münster)
Prof. Dr. Toru Sugihara (Universität Osaka)
Prof. Dr. Karin Weiss (Integrationsbeauftragte des Landes Brandenburg)
Prof. Angelo Ishi (Musashi Universität)
Isao Aoyagi (Abteilung für Menschenrechte der Stadt Soka)
Yumiko Yanase (Interkulturelle Informationsstelle der Stadt Soka)
Prof. Tamiko Kuroda (Dokkyo-Universität)
Univ.Dozentin Dr. Keiko Okamura (Dokkyo-Universität)

2007年10月23日火曜日

「語感を養う」 柿沼ゼミ

 今年は大変暑い夏でしたが、柿沼ゼミではその暑さが峠を越したころの9月中旬、山梨県、石和温泉でゼミ合宿を行いました。ゼミの総勢は15名ですが、今回の合宿に参加したのは7名で、「ちょっとさびしい・・・」という声もありましたが、楽しい3日間でした。


 メインテーマは、「ドイツ語と日本語の語彙に表れた文化」について。日本語の「お休み」はドイツ語ではどう表現されるか、ドイツ語の „Urlaub“  „Ferien“ はどのような「お休み」なのか。「山」はいつでも、どこでも „Berg“ と訳せるのか、などと、いろいろな語彙を考え、議論しながら日本語とドイツ語の語感を養っていこうというのが、このゼミなのです。
 さて、ドイツ語だけではなく、日本語のセンスを磨くことも大切です。今回の合宿では、文化庁の国語世論調査の『浸透する若者言葉、誤解目立つ慣用句』も検討しました。「熱にうかされる」か「熱にうなされる」か。また、「流れに棹さす」は「傾向に乗って,勢いを増す行為をすること」か「傾向に逆らって,勢いを失わせる行為をすること」か。このような日ごろ耳にする言い回しなどもこのゼミのテーマなのです。
 勉強をして疲れたら、美味しいワインなどを飲みながら、またまた、別のいろいろなテーマで盛り上がります。今回はワイン工場を見学し、ついでに少し試飲もしました。

 秋学期が始まりましたが、秋の夜長、ドイツ語と日本語の世界を楽しんでみませんか。

2007年10月15日月曜日

ドイツの自転車にやさしい街づくり

 前回、ドイツのミュンスターが「自転車の首都」であることを紹介しました。今回は、ドイツの自転車にやさしい街づくりの取り組みの断片を紹介します。
ドイツでは2年おきに自転車環境アンケートを行われています。アンケート実施は、全国ドイツ自転車連盟(ADFC)、ドイツ環境自然保護連盟(BUND)、連邦環境庁(Umweltbundesamt)の3者が協力して行っています。なおアンケート調査の結果は、連邦政府の全国自転車交通整備計画(Nationaler Radverkehrsplan NRVP)の基礎資料のためにも利用されています。
一番新しいアンケートは2005年に実施され、2万6,000のアンケート用紙が回収されました。その結果、都市人口の規模別にランキングが作成されましたが、人口20万人以上の大都市では、ミュンスターが前回に引き続き1位となり、「自転車首都」の名をさらに高めました。以下、2位キール、3位オーバーハウゼン、4位ハノーファー、5位ブレーメン、6位ライプツィヒ、7位ボン、8位マグデブルク、9位ビーレフェルト、10位カールスルーヘとなっています。ちなみに本来の首都であるベルリンは20位です。人口20万以下でみると1位はエアランゲン、人口10万人以下では1位はボーホルトでした。興味深いことに、「環境首都」として名を馳せているフライブルクは、出てきていません。
このアンケートはどのような項目が質問されているのでしょうか。以下に2005年のアンケート項目を具体的に示しておきます。質問項目は、大きく5つのグループに分けられ、全部で22項目からなっています。それぞれ対極的な2つの見解が示され、6段階でどちらに近いかを選ぶようになっています。点数総計によって、ランキングが導き出されています。
皆さんの身の回りの状況を考えながらチェックをしてみてください。どこが弱いかがはっきりしてくるでしょう。日本でもこうしたアンケートを広げる取り組みが広がるとよいと思います。


「ADFC自転車環境アンケート2005」

A. 自転車環境と交通環境
1.自転車の運転は楽しい。/自転車の運転はストレスである。
2.自転車に乗る人は、私たちの街では交通参加者として受け入れられている。/自転車に乗る人は、私たちの町では真剣に受け止められていない。
3.私たちの街では、全住民および全年齢階層の人が自転車に乗っている。/私たちの街では、自転車はどちらかというと子供の乗り物あるいはスポーツ用品とみなされている。
4.私たちの街では、自転車運転について多くの宣伝が行われている。/私たちの町では自転車運転について全く宣伝が行われていない。

B. 自転車運転における安全性
5.自転車を乗っている時は、安全と感じる。/自転車に乗っているとき、危険と感じる。
6.自転車利用者と歩行者とのトラブルはめったにない。/自転車利用者と歩行者とのトラブルは頻繁に起こる。
7.自転車利用者と自動車とのトラブルはめったにない。/自転車利用者と自動車とのトラブルは頻繁に起こる。
8.私たちの街では自転車専用道路に障害物はない。/自転車専用道路に多くの障害物がある(例、遮断格子、街灯柱)。
9.自転車盗難はほとんどない。/自転車盗難が頻繁に起こる。

C. 自転車運転における快適性
10.自転車専用道路と通行帯の広さは快適でゆとりがある。/自転車専用道路と通行帯の幅は狭すぎる。
11.通りの至るところに駐輪設備がある。/通りには適切な駐輪設備がほとんどない。
12.工事中の場所も自転車を快適にまた安全に通過できる。/工事中には大抵、下車して押して歩かなければならない。
13.簡単にまた低価格で自転車を公共交通機関に持ち込むことが出来る。/公共交通機関に持ち込むことは困難もしくは値段が高い。

D. 自転車運転の価値
14.近年、自転車交通のためにきわめて多くの取り組みがなされた。/ほとんどなされていない。
15.自治体当局は、自動車専用道路に車が駐車しないよう厳しく監視している。/自治体は自動車が自転車専用道路に駐車しても見過ごしている。
16.自転車専用道路は、定期的に清掃されている。/ほとんど清掃されていない。
17.信号の変化は、自転車利用者を考慮している。/信号の変化は自転車利用者を考慮していない。

E. インフラ整備状況・自動車ネットワーク
18.街の中心まで自転車で快適に行くことが出来る。/街の中心まで自転車で行くのは不便である。
19.自転車ですんなりと直接に行くことが出来る。/回り道をしなければならない。
20.一方通行の道でも、自転車には反対方向への走行が認められている。/一方通行の道で、自転車にも反対方向への走行は認められていない。
21.自転車利用者は、交通案内に従って快適に走行できる。/自転車利用者への交通案内がない、もしくは悪い。
22.日ごろ自転車で使っている道としては、主要道路以外にも快適な接続がある。/日ごろ自転車で使っている道としては、主要幹線道路しかない。

回答者の属性についての質問
・ 居住自治体、州
・ 年齢、性別、
・ 自動車免許の有無
・ 自家用車の所有の有無
・ バスや鉄道の定期券の所持の有無
・ 自転車利用の頻度
・ 自動車団体、自転車団体への加盟状況

K.O

2007年10月8日月曜日

ドイツ語圏への旅 林部圭一ゼミ

この演習ではドイツ語圏の文化や社会について調べて、調べたことを現地へ行って確認する旅を企画します。
興味のある事件、人物、問題を調べていくと、それらに関係の深い場所やゆかりの地についても知りたくなり、自分で現地に行って確かめてみたくなるでしょう。そうした史跡や現場や人物の足跡を調べるとともに、将来そこへ行ってみるための旅を企画する、そういうことをこの授業でやってもらおうと思っています。まず、参加者に最も関心のあるテーマについて調べてもらう。そしてそのゆかりの地への旅を考えてもらう。そして調べたこと、企画したことを授業で発表してもらいます。
最近の出席者たちが選んだテーマには次のようなものがあります。内容の説明は担当者本人に書いてもらいました。

 *『ベルリンにおける外国人問題-トルコ人- 』
 ドイツにおける外国人労働者をテーマにした。戦後の復興では労働力の鍵となっていた外国人労働者が現在では失業率の増加に伴って厄介者扱いされている。特に外国人労働者が多い都市ベルリンに焦点をあてた旅を計画した。旅はトルコ人が多い地区を訪れて、2世・3世のトルコ人のドイツ社会での現状を調査してくるという内容である。(F.N.)

*『ボーデン湖とコンスタンツ』
 ボーデン湖を知っていますか??ドイツ・スイス・オーストリアの国境に位置する、丁度日本の琵琶湖と同じ位の大きさの湖です。 コンスタンツはドイツ側のボーデン湖畔最大の都市であり、私はこのゼミでボーデン湖とコンスタンツの関わりについて発表しています。人間の生活は、水との関わりが深いものです。調べれば調べるほど、ボーデン湖やコンスタンツの美しさの虜になっていきます!! (M.S.)

*『自転車によるヴェーザー川旅行計画 』
 この世で最もエネルギー効率が良いと言われる自転車で、ドイツの美しい田園風景や町並みを満喫する旅を計画しました。
モットーは環境に優しく、財布に優しく、人に優しくです。(T.K.)

*『ドレスデン聖母教会
 ザクセン州の州都ドレスデンに存在するプロテスタントのドレスデン聖母教会は1743年にゲオルク・ベーアという人物によって建てられた。後の第二次世界大戦において大空襲を受け、その後無惨な姿のまま放置されていたが、1989年ごろから復元を求める声が高まった。東西ドイツ統一後の1994年に復元工事が開始され、さまざまな問題を乗り越えて2005年10月に聖母教会は再び市民の前に姿を現した。旅の計画では、聖母教会のある旧市街地区などを訪ねる5泊7日の旅を考えた。(A.K.)

*『Freiburg 環境配慮型都市ツアー』
私がこのテーマを選んだのは、環境先進国と言われるドイツの中でも、特に取り組みや設備が充実しているフライブルクがどんな都市であるかに興味を持ったためです。
都市そのもののつくりや制度がすでに環境を配慮していることで、環境にやさしい暮らしをしやすい都市であるということを、このツアーによって実感できるよう考えました。(A.S.)

*『シュトゥットガルトを巡る』
 ベンツやポルシェが本社を構える、ドイツを代表する工業都市でありながらも、葡萄の産地でもあり、全く違った2つの顔を持つ、シュトゥットガルト。
2006-2007シーズンのブンデスリーガを征したのも、記憶に新しい。
今、シュトゥットガルトが熱い。(I.E)

ほかに次のようなテーマもあります。
*『ノイシュヴァンシュタイン城への旅』
*『ライン河にふれる旅』

2007年10月7日日曜日

Die Kopisten Johann Sebastian Bachs

Die Kopisten Johann Sebastian Bachs. Katalog und Dokumentation, von Yoshitake Kobayashi und Kirsten Beißwenger, Band 1: Textband, Band 2: Abbildungsband, Kassel: Bärenreiter 2007 (Johann Sebastian Bach. Neue Ausgabe sämtlicher Werke, hrsg. vom Johann-Sebastian-Bach-Institut Göttingen und vom Bach-Archiv Leipzig, Serie IX/3)


Der Kompositionsprozess geht immer mit einer Verschriftlichung der Musik einher. Bei mehrstimmig besetzter Musik schreibt der Komponist zunächst eine Partitur, aus der dann die einzelnen Stimmen herausgeschrieben werden müssen, um das Stück aufführen zu können. Das Ausschreiben der Stimmen war in den früheren Jahrhunderten meistens eine Aufgabe von Kopisten. Bach hatte, vor allem für das Herstellen der originalen Aufführungsmaterialien seiner kirchlichen Werke, in all seinen Berufsjahren Kopisten beschäftigt, die meisten während seiner Zeit als Thomaskantor in Leipzig (1723-1750). In Mühlhausen, Weimar und Köthen halfen ihm Privatschüler, Berufskollegen und Familienangehörige, in Leipzig waren es auch – und dies in erster Linie – die Thomasschüler.



Der Katalog erfasst nun alle 259 Kopisten, die nachweislich für Bach gearbeitet haben, und verzeichnet sämtliche ihrer Eintragungen in den originalen Notenmaterialien. Ferner gibt er Auskunft darüber, von wann bis wann ein Kopist für Bach gearbeitet hat, seinen Lebenslauf, soweit der Schreiber namentlich bekannt ist, und den Stand der Forschung zu den einzelnen Kopisten. Außerdem sind in schematischen Schriftproben die wichtigsten Merkmale der Notenschrift von allen Schreibern abgebildet. Sie dienen der Identifiezierung der Kopisten, z. B. bei neuen Quellenfunden. Im Abbildungsband erhält jeder Schreiber Platz für mindestens eine von ihm geschriebene Notenseite. Die Abbildungen sollen dem Betrachter die Möglichkeit geben, von der Schrift eines jeden Kopisten einen Gesamteindruck zu bekommen.
Der Katalog fasst die im Rahmen der Editionsarbeiten innerhalb der Neuen Bach-Ausgabe gewonnenen Erkenntnisse über die Kopisten Bachs zusammen und ergänzt sie durch Neuerkenntnisse. Er ist ein wichtiges Werkzeug innerhalb der Bach-Forschung und ist allgemein beispielgebend für die Schreiberforschung auf musikalischem Gebiet.