2013年12月20日金曜日

映画『ルートヴィヒ(Ludwig II)』




 明日12月21日(土)より、映画『ルートヴィヒ』が有楽町スバル座他、全国で順次ロードショーを開始します。日本でもノイシュヴァンシュタイン城や、その美貌と奇妙な運命でよく知られているルートヴィヒ2世の生涯を描いた作品です。

 作曲家リヒャルト・ワーグナー生誕200周年の最後を飾るこの作品は、20億円もの制作費を投入され、ノイシュヴァンシュタイン城など、ルートヴィヒゆかりの古城で撮影が 行われています。

あらすじ:
 19世紀半ば、ヨーロッパ一の美貌を謳われたバイエルンの王がいた。その名はルートヴィヒ2世。ドイツ連邦の統一をめぐって激しい主導権争いが繰り広げられるなか、戦争にも権力にも感心を持たず、ひたすら芸術に情熱を注いだ彼は、40年の短い生涯を通じてバイエルンを美の王国にするという見果てぬ夢を追い続けた。本作は、そのエキセントリックな人物像を解き明かす壮大な歴史ドラマ。高い美意識と強烈な個性ゆえ、死後125年以上たった今も多くの人々を魅了してやまないルートヴィヒの、知られざる孤独と狂気の正体に迫る話題作だ。
 1864年、父王の急逝により18歳で王座に就いたルートヴィヒ。それから22年におよぶ波乱の半生をたどるドラマは、楽劇王と呼ばれた大作曲家、リヒャルト・ワーグナーとルートヴィヒの愛憎劇を主軸に展開する。ルートヴィヒがワーグナーの音楽に魅せられたのは、15歳で歌劇『ローエングリン』を観たことがきっかけだった。以来、白鳥の騎士ローエングリンに憧れ、ワーグナーを崇拝するようになったルートヴィヒは、王になると同時にワーグナーを宮廷に招き入れ、多額の負債を肩代わりしてやる。プロイセンとの戦争が間近に迫った状況であるにもかかわらず、「ワーグナーを聴けば敵は武器を捨てる」と豪語し、国費をワーグナーに貢ぎ続けるルートヴィヒ。その言動に危機感を覚えた大臣たちは、ルートヴィヒにワーグナーの追放を迫るが、いっぽうのワーグナーも影響力を行使してルートヴィヒに大臣の罷免を迫る。両者の板挟みになり、倒れるほど苦しんだルートヴィヒは、大臣たちに押し切られる形でワーグナーを追放。その結果、いっそうの孤立と混乱を深めていく。
(公式HPより)

詳しくはこちら

映画『ハンナ・アーレント』(Hannah Arendt)

映画:『ハンナ・アーレント』(原題Hannah Arendt)
制作年:2012年
制作国:ドイツ・ルクセンブルク・フランス合作
監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ
上映時間:114分

あらすじ:
誰からも敬愛される高名な哲学者から一転、世界中から激しいバッシングを浴びた女性がいる。彼女の名はハンナ・アーレント、第2次世界大戦中にナチスの強制収容所から脱出し、アメリカへ亡命したドイツ系ユダヤ人。
1960年代初頭、何百万ものユダヤ人を収容所へ移送したナチス戦犯アドルフ・アイヒマンが、逃亡先で逮捕された。アーレントは、イスラエルで行われた歴史的裁判に立ち会い、ザ・ニューヨーカー誌にレポートを発表、その衝撃的な内容に世論は揺れる…。
「考えることで、人間は強くなる」という信念のもと、世間から激しい非難を浴びて思い悩みながらも、アイヒマンの<悪の凡庸さ>を主張し続けたアーレント。歴史にその名を刻み、波乱に満ちた人生を実話に基づいて映画化、半世紀を超えてアーレントが本当に伝えたかった<真実>が、今明かされる――。(公式サイトより)




公式サイト:http://www.cetera.co.jp/h_arendt/
※劇場情報は公式サイトをご覧ください。
ハンナ・アーレントについて:wikipedia
※ハンナ・アーレントに関する図書は獨協大学図書館にも所蔵しています。

2013年12月19日木曜日

[PROST!]ドイツとドイツ語圏を知ろう(5)

留学生インタビュー ~ドイツから見た日本~
日本とドイツのことについて、留学生にインタビューしました!

 今回インタビューに応じてくれたのは、ベルリン出身でハレ・ヴィッテンベルク大学から来た女の子です (本人の希望で名前は出していません)。彼女は半年間、獨協大学に留学していました。
 ちなみに、彼女が来たハレ・ヴィッテンベルク大学とは獨協との交換留学制度がありますよ!


◆ なぜ日本に来たのですか?

 日本学専攻で日本語を勉強していたからです。ペラペラには喋れなかったけど、きっと将来、日本語を使いたければ話せることが重要だと思ったから、日本に来ました。

Ich habe im Japanologiestudium Japanisch gelernt. Aber ich konnte gar nicht perapera sprechen. Aber wenn man Japanisch in der Zukunft nutzen will, ist es wichtig, Japanisch auch sprechen zu können. Deshalb bin ich nach Japan gekommen.


◆ 日本のことをどう思いますか? 想像と実際ではどのように違いましたか?

 とても驚いたのは、ドイツで日本について習ったことがほんとうに当たっていたことでした。例えば、「本音と建前」や集団思想、女性の社会的なルールや義務などです。日本人がほんとうにそうだとは思わなかったので、ショックを受けました。ドイツとはまるで違う習慣です。

Ich war sehr überrascht, das alles, was ich gelernt habe, wirklich stimmt. Also mit Honne und Tatemae, Gruppendenken, der Rolle der Frau und den sozialen Regeln und Pflichten. Ich konnte mir nicht vorstellen, dass es in Japan wirklich so ist, das hat mich schockiert. Das ist ganz anders als in Deutschland.

 日本人がドイツ人と、あるいはイギリス人や他の国の人と全く違う考え方をするということにも驚きまし た。私はそれまでドイツしか知らなかったので、だれもがドイツ人と同じようにものを考えると思っていましたが、文化によってそれぞれ違うということに驚かされました。 

Außerdem war ich überrascht, dass Japaner ganz anders denken als Deutsche. Aber auch Engländer und andere Länder. Weil ich immer nur Deutsche kannte, dachte ich, jeder auf dieser Welt denkt wie Deutsche, aber es ist jeweils unterschiedlich von Kultur zu Kultur.

 ドイツには、日本人はとてもシャイで魅力的で礼儀正しく、いつもにこにこしているというステレオタイプがあります。日本に住んだことのある今、もう日本人全員がシャイだとは思いません。シャイではない人もいますからね。日本人はドイツ人よりも興味深いと思います。今でも日本人はとても丁寧で礼儀正しいと 思います。でも知り合った何人かの日本人には、礼儀知らずやあまり礼儀正しいとはいえない人もいました。 日本人はほとんどいつもにこにこしているのは確かだけど、たまに悲しそうな顔をしている人もいます。いずれにしても、日本人はドイツ人よりもにこにこしているし、礼儀正しいと思います。

Zudem gibt es in Deutschland den Stereotyp, dass Japaner sehr schüchtern, attraktiv und höflich sind und immer lächeln. Jetzt wo ich in Japan war, finde ich nicht mehr, dass Japaner schüchtern sind. Es gibt schüchterne Japaner, aber auch nicht schüchterne. Ich finde Japaner immer noch sehr attraktiv und attraktiver als Deutsche. Höflich finde ich Japaner immer noch, aber ich habe auch ein paar kennengelernt, die wenig höflich oder nicht höflich sind. Dass Japaner immer lächeln, sehe ich immer noch so. Auch wenn
10manche auch traurig gucken. Dass Japaner immer lächeln, sehe ich immer noch so. Auch wenn manche auch traurig gucken. Auf jeden Fall lächeln Japaner mehr als Deutsche und sind höflicher.

 人に言われたことがあって、日本人はアイロニー(皮肉、ひねった表現)を分からないと思っていました。でも、日本人もアイロニーを理解するし、使いますよね。

 Ich dachte auch, Japaner verstehen keine Ironie, weil mir das so erzählt wurde. Aber Japaner verstehen Ironie und benutzen Ironie auch.

 ドイツ人はかなりストレートに物事を言うけど、日本人はあまり言いませんね。そこはちょっと嫌でした。 ドイツ人は „nein“ (英語の no)も、したいことも、みんなはっきり言いますから。例えば、日本人と遊びに行った時、いつも「楽しかった」とか「もう一度遊ぼう」とか言いますよね。ほんとうにそう思ったかどうかは関係なく。だからちょっと混乱しました。私を好いてくれているのか、それともそうではないのか、ほんとうにまた遊びたいと思ってくれていたのか、よく分かりませんでした。実のところ、日本人がほんとう は何を思っているのか、理解できないのではないかと感じました。でも全体として私は日本にいいイメージを持っていますし、ただ全く違う文化や考え方だということです。

Nicht so sehr mochte ich, dass Japaner nicht so direkt sind wie Deutsche. Deutsche sagen auch "nein" und was sie wollen. Japaner sagen immer "tanoshikatta" und "mou ichido asobou", egal ob sie das wirklich denken oder nicht. Das hat mich verwirrt. Ich wusste nicht, wer mich mag und wer nicht und ob sich die Person mit mir treffen will oder nicht. Ich habe das Gefühl, man weiß nie, was Japaner wirklich denken. Aber im Großen und Ganzen habe ich ein positives Bild von Japan, nur halt, dass unsere Kulturen und Denkweisen sehr anders sind.

 日本人はドイツとは全く文化が違うけど、みんなとても優しい人たちです。一番好きだったところは、日 本人がドイツ人よりもいつもにこにこしていて、笑ったり、面白い冗談を言ってくれたことです。日本人と一緒にいると、いつも良い気持ちで嬉しかったです。

Alles in allem finde ich, dass Japaner von der Kultur ganz anders sind als Deutsche, aber Japaner sind sehr nette Menschen. Ich mochte am liebsten, dass Japaner immer lächeln, lachen und Witze machen, viel mehr als Deutsche. Mit Japanern hatte ich immer gute Laune und war glücklich.


◆インタビューに答えてくれて、どうもありがとうございます!

[PROST!]ドイツとドイツ語圏を知ろう(4)

ドイツ、オーストリア、スイス以外のドイツ語圏


●ドイツ語が公用語となっている国

ドイツ語圏の国々というと、今まで紹介してきたドイツ、オーストリア、スイスの3か国を思い浮かべる方も多いと思いますが、これら3か国以外にもドイツ語を公用語とする国があります。

一つ目は、ルクセンブルク(独:Luxemburg)です。ルクセンブルクは、フランス・ベルギー・ドイツに囲まれた人口約50万人の小国です。フランス語、ルクセンブルク語と並び、ドイツ語が公用語として指定されています。ちなみに、このルクセンブルク語は、ドイツ語の一方言といってもいいほどよく似た言語です。

二つ目は、リヒテンシュタイン(独:Liechtenstein)です。リヒテンシュタインは、ルクセンブルクよりさらに小さく、人口は約3万人です。スイスとオーストリアに囲まれています。公用語はドイツ語のみですが、日常的にはドイツ語の方言であるアレマン語が使用されています。

最後は、ベルギー(独:Belgien)です。ベルギーは昔からフランス語とオランダ語話者間の対立が存在し、「言語戦争」とも言われていました。その結果、使用言語によって言語境界線が引かれ、「フランス語共同体」「フラマン語(オランダ語)共同体」「ドイツ語共同体」という3つの言語共同体に明確に分かれており、各言語がそれぞれの地域の公用語となっています。ドイツ語共同体は、ドイツ国境付近に位置しており、ベルギーの総人口の約1%7万人以上)を占めています。


●ドイツ周辺でドイツ語が日常的に使用される地域

 ドイツ語が国の公用語となっていなくとも、地理的にドイツに近い地域では、ドイツ語が日常的に使われている場合があります。例えば、イタリアの南チロル(独:Südtirol)、フランスのアルザス=ロレーヌ(独:Elsass-Lothringen、アルザス地域圏とロレーヌ地域圏のモゼル県を含めた地域)が挙げられます。

南チロル

 まず、南チロルのあるボルツァーノ自治県(イタリア最北端)では、イタリア語、ドイツ語、ラディン語が県の公用語となっています。住民構成はドイツ系住民が多数を占めており、県民の総人口の約70%30万人)がドイツ語を母語としています。つまり、この地域のイタリア語話者はむしろ少数派となっています。
次に、フランスのアルザス=ロレーヌでは、昔と比較すると減少傾向にはありますが、家庭ではドイツ語を話す人々がいます。この地域は元々神聖ローマ帝国の支配下にあり、ドイツ語圏に属していたためドイツ文化の影響が色濃く見られます。例えば、木骨造(独:Fachwerkhaus)の家屋が多かったり、シュークルート(ドイツでいうザウアークラウトSauerkraut)が名物だったりとドイツ的な要素が残っています。
この他にも、ハプスブルク帝国やプロイセン王国の支配下にあった中欧、東欧の国々の一部でもドイツ語を話す人々が存在します。


ドイツの旧植民地であった国

ドイツも19世紀後半以降、他のヨーロッパ諸国と同様に植民地(例:ニューギニアの一部、カメルーン、ナミビア、トーゴ、サモアなど)を保有していました。しかし、第1次世界大戦に敗戦し、それらの植民地は英仏日などに分割されてしまったため、ドイツ語やドイツ文化の要素はあまり残っていないのが現状です。
その中で、ナミビア(独:Namibia)は、ドイツ語話者が比較的多く存在する地域です。ナミビアは、今でこそ公用語が英語、日常言語がアフリカーンス語となっていますが、1990年に独立するまではアフリカーンス語に並んで、ドイツ語が公用語として指定されていました。そのためか、街中でも英語、アフリカーンス語、ドイツ語の3言語で記載されている看板などを目にすることができますし、商業言語としてのドイツ語の地位も高いものであると言われています。また、料理に関しても、ドイツ風のパン、ソーセージ、じゃがいも料理などドイツの影響を感じることができます。


●ドイツ系移民の多く居住する地域

上で挙げた国々の他に、歴史的・地理的にドイツと強い関係がない国々でも、ドイツ系移民が多いなどの理由でドイツ語が話されている地域があります。例えば、アメリカのペンシルバニア州 (独:Pennsylvanien)や中央アジアのカザフスタン(独:Kasachstan)などが挙げられます。
ペンシルバニア州では、約25%の人々がドイツ系の祖先を持つとされています。こうしたドイツに起源を持つ住民は、フィラデルフィア以外の地域に居住しています。この地域で話されるドイツ語は、ペンシルバニアドイツ語、あるいはペンシルバニアダッチ(注:この「ダッチ」はオランダではなくドイツを指します)とも言われます。このペンシルバニアドイツ語は、様々なドイツ語方言が混ざっていますが、プファルツ地方で話されるドイツ語に似ていると言われています。また、ドイツ語はvの文字を[f]w[v]と発音するため、この地域の人々は例えば「wonderful violin」を「ヴァンダフル・フィオリン」と発音してしまう、などと言われたりもします(しかし、実際には訛りは非常に小さく、このようなイメージは観光のために誇張されたものでもあります)。
また、ロシア帝国時代にロシアへ移住したヴォルガ・ドイツ人と呼ばれる人々がいます。彼らは、ロシア革命直後に、ヴォルガ川沿いにヴォルガ・ドイツ人自治ソヴィエト社会主義連邦という自治共和国を建国します。しかし、1941年にスターリン政権に倒され、中央アジアへと追放されてしまいます。そのため、現在でもカザフスタンには比較的多くのドイツ系住民が存在しています。
その他には、南米のブラジル、アルゼンチン、アフリカのパラグアイなどにもドイツ系移民のコミュニティが存在しています。

英語やフランス語などの言語と比較すると、ドイツ語の通用地域は限られたものに感じるかもしれません。しかし、例えばEU域内では、最大の母語話者数を有する言語でもあり、最も重要とされる言語の一つでもあります(英語は第2言語話者も含めれば最大の言語となりますが、母語話者は多くありません)。さらに、インターネット使用人口約3%がドイツ語母語話者であり、英語、中国語、スペイン語、日本語、ポルトガル語につぐ第6の言語でもあります。また、全ウェブサイト中6%はドイツ語で書かれたものであり、これは英語についで第2位となります。ドイツ語が通用する地域ではないかもしれませんが、バカンス(独:Urlaub、ウアラオプ)好きなドイツ人は数週間のバカンスに出かけることも多いです(例えばスペインのマジョルカ島は人気の観光地です)。
このように、ドイツ語を勉強しておけば、意外なところ、思ってもみなかったところにドイツ人やドイツ文化との出会いが潜んでいるかもしれません。


2013年12月12日木曜日

[PROST!]ドイツとドイツ語圏を知ろう(3)

☆スイス・die Schweiz


バーゼル大学(Universität Basel)

・スイスの中では唯一の本大学協定校(2008年~)
・今年で創立から553年を迎える、スイス最古の総合大学
http://www.unibas.ch



バーゼルファスナハト(Basler Fashnacht)

スイス北西部に位置するバーゼル市。 
そこで行われるスイス最大級のカーニバルについて焦点を当てて、紹介していきます。

●時期: 2月中旬~下旬のうちの3日間
●場所: バーゼル市(チューリヒから特急で1時間前後)

●早朝:パレードの幕開け
ペイントの施された大きな灯籠が夜の闇に浮かび上がる様子は、青森県の「ねぷた祭り」を連想させます。

●午前:メインパレードのスタート
グループごとに時事問題などのテーマ(Sujets)を決め、それに灯籠や衣装を合わせることが、大きな特長です。

●午後:行進
1万人を超える人々が仮面を衣装を身に纏い、市内を歩き回ります。楽器を奏で、紙吹雪を散りばめ、メッセージを配り、それぞれのテーマ(Sujets)をアピールします。

一年に一度のカーニバルだからこそ、その年ごとの雰囲気や仮装を楽しむことができます!!!


参考:スイス政府観光局 www.myswiss.jp

[PROST!]ドイツとドイツ語圏を知ろう(2)

ハプスブルク帝国の面影残る
オーストリア


寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! オーストリアっていう国、皆さん知っていますか
せっかくドイツ語学科なんだから、ドイツ以外のドイツ語圏にも興味を持ってみてほしいと思います。皆さんが知らないだけで、オーストリアにも素敵なところたくさんあります。
知らないままじゃもったいない!


芸術の都 ウィーン

 オペラ座の立ち見が360? あの『世界一の音響』が600円で聴ける? 観劇が520! 「音楽の都」と名高いウィーンは音楽だけでなく、いろいろな芸術がお手頃価格で楽しめます。あのエリザベートも当日券の学割で約1800円でした。



エリザベート ~Sisi

 ミュージカルが好きな方ならご存知かもしれません、あの有名なシシィはオーストリアの皇后! 本場のエリザベートを鑑賞するもよし、エリザベートのゆかりの地ツアーをするもよし、彼女が好んだスミレの砂糖漬けも食べることができます。



白ワインが名産

ドイツがビールなら、オーストリアはワインが有名。中でも特に白ワインは飲む価値ありです。 ウィーン周辺ではブドウ畑の綺麗な景色が楽しめます。秋には季節限定でSturm(シュトゥルム)というワインの赤ちゃんが出ます。甘くてジュースみたいで、ワインが苦手な人にも楽しんでもらえること請け合いです。ただし飲みすぎには注意!



カフェ~旦那様・お嬢様気分

 意外と知られていないのが、ウィーンはコーヒーが有名だということ。作家、音楽家、建築家、画家が集ったというカフェの趣は上流階級!? 深みのある調度品、豪華なシャンデリア、ピアノの生演奏♪ コーヒーの注文は入れ方で頼んでくださいね!



原発ゼロ

 ドイツが原発の全廃を決定し話題になっていますが、オーストリアはそもそも原発がありません! 興味深いのは、実は原発は建設されているということ。ツヴェンテドルフ原発は稼働前に国民調査が行なわれ、投票者の50.47%が運転に反対したことからそのまま廃炉となったのです。それ以降オーストリアは反原発を訴え続けており、ウィーンには国際原子力機関の本部があります。



ハプスブルク帝国の遺産

ウィーン
 ハプスブルク家の宮廷、代々の皇帝たちが眠る教会、王宮御用達のケーキ屋さん、食器工房etc645年続いたハプスブルクの帝都であるウィーンには今でも様々な遺産が見られます。

インスブルック
 そしてインスブルックには中世最後の騎士と言われた、ハプスブルク皇帝マクシミリアン一世の残した遺産がたくさん! お隣の国のお姫様を助けに行き、そのまま婚約してしまいました。乗馬に長けていた彼は白馬の王子様かも?



[PROST!]ドイツとドイツ語圏を知ろう(1)

ドイツ大使館訪問
クラウス・アウアー公使にインタビュー!


 現在、ドイツ大使館文化広報担当のクラウス・アウアー公使に色々とお話を伺ってきました。


―Q1. ドイツ大使館の活動全般について教えてください。

 ドイツの代表の「小さな政府」として活動しています。在日しているドイツ人に対してのパスポートの発行、選挙の準備、あとは他国(日本を含め)との関係を維持するため、政府や国民、経済界との連携を保っています。また大使館は大使を中心に領事部門、広報部門などいくつかの部門に分かれています。今回のインタビューなんかは広報活動の1つですね。他にも大使館のホームページやFacebookなどを通じて成果向上を図っています。


―Q2. 文化的なイベントとして、今年は何が催される予定ですか?

 たくさん予定されています。今年はドイツとフランスがエリゼ条約を締結して50年目になります。それに因み、ドイツ大使館の外壁には壁画でその歴史が綴られています。また青山で開催予定のドイツフェスティバルにはフランスの人たちにも参加していただきます。922日に行われる連邦議会選挙に際して、ジャーナリスト向けのパーティも開く予定です。第一ジャーナリストとしてお二人にも参加していただきたいのですが、なにせ時差が8時間もあるもので。他にもコンサートや演劇、東北に向けたアクションも起こす予定です。詳しくは大使館のホームページをご覧になってください。Goethe Institutのホームページでもイベントの情報を更新していきます。


―Q3. 大使館のブログに出ている「大使館ネコ」は本当にいますか?

 もちろん! 今この部屋にいますよ!「大使館ネコ」は訪れたお客さまを、Young Germanyというページの中の「大使館ネコのきまぐれブログ」で紹介しています。


―Q4. SNSをどのように活用していますか?

     (この質問には広報担当のハーニッシュさんに答えていただきました)
 SNSは主にホームページの補完として活用しています。Young Germanytwitterでは「ドイツのチョコレートの消費量は世界一」などのカジュアルなテーマを扱っていたり、選挙などのシビアなテーマを扱っていたりと、ありとあらゆる側面から更新しています。SNSを通じて発信者と受け手との相互的な関係を築くことが大切だと思っています。何か質問などありましたら是非、みなさん教えてくださいね。


―Q5. ドイツやドイツ語の魅力は何だと思いますか?

 「美しさ」です。これは何かフィルターの向こう側からではなく、直接自分で見て、触れて、感じてほしいですね。またドイツ語はとても正確な言語です。医学や法学、哲学はドイツ語で発展してきましたからね。日本語との類似点も多いです。例えば日本独特の「居心地のいい」という表現と、ドイツ語のGemütlichkeit”という表現はよく似ています。ドイツ語に限らず、他国の言語を学ぶことでその「美しさ」と、母国語の「美しさ」が見えてきます。これが語学学習のメリットだと思います。


―Q6. 日本のドイツ語学習者、ドイツ語を教えている大学・高校に期待することは何ですか?

 言語は人と人とを繋ぐ一種の「道具」であるということを知ってほしいです。あとは500年前のことばかりではなくて、「今」のドイツ、「今生きている」ドイツ語を学んで吸収してほしいです。


―Q7. 公使はいつごろ日本にいらしたのですか? またその時の印象を教えてください。

 去年の夏から大使館に勤務しています。日本には過去に4年間滞在していたことがあるので、二度目の来日になります。最初の印象はWunderschönes Essen!“ (とても美しい食べ物)でした。寿司や天ぷらなど、美しくて丁寧で美味しい料理がたくさんある印象でした。


―Q8. 最後に新入生に向けてメッセージをお願いします。

 ドイツ語を選んでくれてありがとう。そしておめでとう! しっかりドイツ語を学んでください。そして実際にドイツに行って新しい宝物を見つけてください。日本とドイツが更に良い友達であるよう、みなさん頑張ってください!



アウアー公使、貴重なお話をありがとうございました!




<インタビュー後、ハーニッシュさんに普段は一般人は入れない大使館内と大使公邸のお庭を案内していただきました!>


 大使館の造りはとても丈夫で、壁一面コンクリート。東日本大震災が発生した時はあまり揺れを感じなかったとか。コンクリート1枚の大きさは畳1枚の大きさと同じだそうです。フロアーの数え方はドイツ式で、日本でいう2階にあたるフロアーが1階、3階が2階、という感じになっています(日本の1階は「地上階(Erdgeschoss)」)。館内は吹き抜けになっていて、声や音がとてもよく響きます。地上階では様々なイベントが行われていますが、音響が良すぎるため、たくさん音がでるコンサートなんかには向いていないとか。廊下には歴代の大使の写真が飾られていました。建物のデザインはドイツのデザイナーが考えたもので、建築は日本の建築会社が受け持っています。ドイツと日本の融合が感じられる素敵な空間でした。
 外へ出ようとした時に気になったのが、大使館の出入り口の重厚な扉。ガラスは防弾ガラスが使われていて、扉は厚く、とても頑丈な造りでした。外に出ると、アートな町ベルリンではお馴染みのカラフルな「クマ」がお出迎え。ベルリン全体で127匹いるのだそうです。日本の「クマ」も写真で見せてもらいましたが、他の「クマ」と比べると少し地味な印象

 大使の公用車も見せていただきました。約1週間前に納車されたばかりということで、傷1つありませんでした。ナンバープレートには外交官の「外」の文字を囲んで、大使公用車を表す「」がついていました。漆黒のハイブリッドなBMWはとても神々しかったです

 その後は大使の公邸の広いお庭にお邪魔させていただきました。入るとすぐに鯉がお出迎えしてくれました。日本風なお庭には、ちゃんと賽銭箱のあるお社や、実際に撞くことのできる釣鐘、来客があったときにお茶会を開いてお客様をおもてなしできる茶室がありました。お庭は毎日お手入れされているらしく、とても綺麗でした。公邸の横にはテニスコートとプールがありました。プールの水は、港区で災害などの緊急事態が発生した際に運用できるようになっています。

 エリゼ条約締結50周年を記念して展示されている壁画も見てきました。いたずら防止のため、壁画は特殊な素材なものでできていました。ドイツとフランスの歩みが分かりやすく紹介されていますので、是非、みなさん見に行ってみてください!

ハーニッシュさん、ありがとうございました!


 大使館訪問を終えて、私たちもドイツ語学習に対するモチベーションが上がりました。



☆ドイツ大使館ホームページ☆

☆フォルカー・シュタンツェル大使のブログ☆ (大使みずから日本語で書かれています!)

☆「大使館ネコ」のきまぐれブログ☆(ちなみに37日付けのブログに私たちも紹介されています!)


Young Germany Japan
http://www.young-germany.jp/ (ホームページ)

2013年12月6日金曜日

[PROST!]新任の秋野有紀先生と上村敏郎先生にインタビュー!!(2)


上村敏郎先生


Q1. 専門分野は? 興味を持ったきっかけも教えてください。

 ハプスブルクの歴史を扱っています。世界史を勉強していた人は分かるかもしれませんが、18世紀の啓蒙専制君主、ヨーゼフ2世の時代です。主にこの時代のメディアの流通について研究しています。当然その頃はインターネットがなかったので、本やパンフレットが人々に政治的なメッセージを送る手段になっていました。そういった文書などがどのように流通していたか、それに対して啓蒙君主がどのように反応したのかを研究しています。
 ハプスブルクに興味を持ったのは、高校時代に地元福岡県の博物館で開催されていたハプスブルク展を観に行ったことがきっかけです。それから大学に入って、なんとなくハプスブルク関連の本を読んでいくうちに、その深みにはまっていきました。


Q2. なぜ教員に?

 教員というよりも、研究者として自分のテーマを深く研究していきたいと思っていました。そのためには大学に残って、教員という仕事をしながら自分の研究を続けていく、というのが日本のスタイルなので、今この仕事に就いています。


Q3. 学生時代について教えてください。

 1 年生の頃は舞踏研究会というサークルに所属し、社交ダンスに没頭していました。ただ、この頃から大学院に行きたいと思っていたので、特にお金と時間がかかるこのサークルを止めざるを得ませんでした。また、当時私が教わっていたヨーロッパ史の先生がとても厳しい方だったのをよく覚えています。そんな先生に触発されて、2 年生の頃に仲のいい友人とヨーロッパ史に興味のある後輩たちを集めて、勉強会(サークル) を開きました。勉強に切磋琢磨する以外にも、サークルのみんなとは旅行(お金が無かったので国内がほとんど)に行ったり、昔の料理を作ってみたりと楽しんでいました。
 アルバイトもしていました。成田行きのバスに乗るお客さんの荷物を積むアルバイト、大学の図書館の受 付係、あとは短期でハウスクリーニングのアルバイトもしたことがあります。


Q4. ドイツ語はどのように勉強していましたか?

 第2外国語のドイツ語の授業やドイツ文学の授業などを少しずつ取って勉強しました。他にも自分で調べてウィーン大学のサマースクールに参加しました。あとは2年生の時に筑波大学が提携しているバイロイト大学に、短期間ですが交換留学をしました2週間ホームステイをして、その後の2週間はバックパッカーでオーストリアを旅したりしましたね。これが初めてのドイツ語圏留学でしたが、とても楽しかったです。


Q5. ドイツ語圏について学ぶメリットは?

 ドイツ語圏に限らず、異文化を学ぶ(知る)ということは自分のなかの価値判断の基準がもう1つできるということです。アメリカでもアフリカでも中国でも、1つ何か別な価値判断の基準があると、自分が生きていく上で参照できる手がかりが増えていきます。これは非常に大事なことで、メリットであると私は思います。日本には受験勉強をして、就職活動をして、就職をして、という一本のレールのようなものがあって、それから逸れてしまうと非常に苦しい思いをすることがありますよね。それだけではなくて、一旦そのレールから外れて、別の時間の流れを感じてみることも大切だと思っています。


Q6. 休日の過ごし方を教えてください。

 去年結婚したこともあり、最近は妻と2人で過ごすことが多くなりました。食事に行ったりドライブをしたりと、休日は家庭サービスをしています。結婚する前は読書をしたり映画を観ていました。映画といえば、アカデミー賞を受賞した『アマデウス』のモーツァルトの時代なんかは、まさに私がやっている研究です。観ていただけるとその時代の空間が何となく把握できると思います。おススメです。


Q7. 在校生と新入生へのメッセージをお願いします。

 大学の4年間は人生で一番自由で、積極的になれる時期です。自分が本当に好きなことは何かを考えるいい機会だと思います。仕事を持つようになって歳をとっていくと、生きていくうえでの責任が増えていきますからね。今のうちにしっかり勉強をして、たくさん遊んで、色々な体験をしてください。


先生、お忙しい中ありがとうございました。4月からよろしくお願いします。

2013年12月5日木曜日

[PROST!] 新任の秋野有紀先生と上村敏郎先生にインタビュー!!(1)



2013 年春、ドイツ語学科にバリバリの新任として着任される 2 人の先生、秋野有紀先生と植村敏郎先生に インタビューしました。


秋野有紀先生


――始めに、秋野先生について教えて下さい。

 私は学部から大学院は、東京外国語大学の外国語学部ドイツ語学科で、博士論文を書くときに、ドイツ唯一の文化政策研究所があるヒルデスハイム大学に留学しました。博士論文は両校の共同指導による学位論文としてドイツ語のものを提出しました。専門は文化政策です。「文化」は教養の高さを表すものとして、ポジティブに捉えられがちですが、実は見えない「差別の装置」にもなりえ、文化政策も社会にとっては両義的です。劇場や美術館に予算を配分すること=文化政策だと思われがちですが、お金の配分は、その社会が「文化」をどのような位置づけで捉えているかと深く関わっています。なので、ドイツの文化政策を研究することは、ドイツの社会と文化を知ることでもあり、地域研究の側面も持っています。


――先生はなぜドイツの文化政策を研究しようと思われたのでしょうか?

 ヨーロッパに関心があり、中でも自分にとって一番馴染みのない国がドイツでした。最初から研究をしようと思っていたわけではなく、34 年時には就活をしていました。その時は外務省を受けていて、筆記試験 はかろうじて通ったものの面接で落ちてしまって。他の企業を受けていなかったので、まだ願書が間に合った大学院を受けました。でも外交官試験の勉強をしていたことにも1つメリットがあって、法律や経済をひと通り論述試験対策として勉強できたことです。それをどこかで少しでも役立てようと思ったことと、子どものころからバレエをしていたのですが、そのころからの「なぜ日本ではバレリーナは欧米のように職業として成り立たないんだろう?」という疑問が混ざり、劇場大国ドイツの文化政策を研究してみようと考えるようになりました。なので、ドイツを選んだのも、研究の道に進むことになったのも、ある意味偶然です。でも、自分が子どもの時から今までしてきたことが掛け合わさって、ドイツの文化政策研究というものに落ち着きました。


――お好きな文学や音楽は?

 アイン・ランド『水源』、冲方丁『天地明察』などです。主人公がひたむきに頑張っていて、読後に清々しい気持ちになれ、タイムスリップできる小説が好きです。また数学者の広中平祐さん、藤原正彦さんの留学16エッセイは留学中の愛読書でした。ロシア語通訳の米原万里さんの本も、通訳の裏話などが面白く、お薦めです!ドイツ語の音楽は、Xavier NaidooHerbert GrönemeyerDie Prinzen をよく聴きます。


――先生のお考えでは、ドイツについて学ぶメリットは何でしょうか?

 日本にいると、「外国=アメリカ的なもの」というふうになりがちだと思うのですが、英語や日本語に翻訳しきれないドイツ的思考回路のエッセンスを吸収し、ドイツというもう一つの立脚点を持つと、そこから世界や見方をぐっと広げることが出来ます。ドイツは物価もそこまで高くないし、比較的安全な外国なので、 留学はしやすいです。なので、最初にドイツを起点としてある程度エキスパートになり、そこを一つの軸に また次を開拓していくというのは、日本人が欧州に出て行くためには、効率的な戦略だと思います。
 新入生の皆さんは、ドイツ語を選んだからドイツ語圏としか向き合えない、他の言語の方が良かったかも? と「消去法」で考えるのではなく、日本を含めたアジアのことを考える際にも、ドイツ語を選んだからこそ、歴史、文学・文化、政治、経済、社会の制度(環境制度や文化政策)など、かなり幅広い分野で参照項を見 出すことができ、多角的な考察が可能になるメリットにどんどん目を向けてみて下さい。日本では現代ドイツの情報も少ないので、あえてドイツを専門的に知っているということは、案外強みになるんですよ。


――先生が考えるドイツ語を勉強するコツは?

(1) ドイツ語の例文はジョークで覚える。漫画『宇宙兄弟』の主人公も英語でそうしていますよね。会話にもとっさに使えるかもしれないし、実用的だと思います。そして何より楽しい! 

(2)DVD を日本語⇒ドイツ語の順に見る。私の場合、日本語でまず見て、自分が使いそうな表現(「お疲れ様」や「ぼーっとしてただけ」など)を拾った上で、ドイツ語をメモします。

(3) 忘れても気にしないで、続ける。「語学は才能」という神話もありますが、気にしすぎて「自分は向い ていないのかも...」と悩まないことが重要です。繰り返し接して慣れていったら、誰でもある程度「語学の できる人」になれるはず!と私は信じています。

......あまり言われてなさそうなことを 3 点、あえて挙げてみました。


――新入生と在学生へメッセージをお願いします。 

 在学生の皆さんへ:
 私の座右の銘は選んだ道を正解にするというものです。 あるスポーツ選手が「選んだ道を正解にする努力はしてきました」と取材で答えていました。人生の色んな分岐点で、迷い、後悔することもあると思います。でも、選んだ道を「正解にする努力」なら、あとからどれだけでも出来ます。進んだ道を悔やむより、自分の力で「成功」にしてしまえばいい。そう思えたら、自分で思い切った道を選ぶことも、大事な側面で選ばれることもそれほど怖くない気がしてきます。 

 新入生の皆さんへ:
 ドイツ語を学ぶのは大変だと思いますが、1 回 1 回の授業に頑張って出て下さいね。試験でいい点をとるとか、予習をするとかいうことと並んで、気乗りしなくても大学に来るというのも立派な 努力ですし、「あー今日は頑張って授業に出た!」って認めちゃっていいと思います。その 1 回 回が、気づいたらものすごく遠いところまで連れて行ってくれます。「ドイツ語なんてもう嫌だ」と思うこともあるかもしれませんが、私の大学での同期は英語メインで仕事をしている人であっても、案外ドイツ三昧でいられた年間を幸せな思いで振り返っています。もしかすると、元々自分の中にドイツ語圏っぽいものを潜ませていた人が、気づかずドイツ語学科に引き寄せられてくるのかもしれません。
 そう考えると、ドイツ語学習者はドイツ語に選ばれた人たちなのかもしれません。
大学時代という人生の貴重な 4 年間、幸か不幸かドイツに「選ばれちゃった」みなさんの大学での授業時 間が少しでも楽しく有意義なものになるよう、私も努力していきます!

――秋野先生本当に有難う御座いました!